エイレーネー (東ローマ女帝)
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エイレーネー“アテナイア”(ギリシア語:Ἐιρήνη ἡ Ἀθηναία, Eirēnē hē Athēnaiā、752年 - 803年8月9日)は、東ローマ帝国イサウリア王朝の第5代皇帝(在位:797年 - 802年)。同王朝第3代皇帝レオーン4世の皇后で、第4代皇帝コンスタンティノス6世の生母。ローマ帝国史上初の女帝である。中世ギリシア語読みでは「イリニ」で、「平和」の意である。渾名の“アテナイア”は「アテナイ人」の意であり、生地がアテナイであったことによる。
注釈
- ^ ローマ皇帝の即位の条件には「五体満足でなければならない」という不文律があった。このため、二度と帝位に就けないように、失脚した皇帝の目を潰したり、鼻や耳などを削いでしまうという残酷な処罰が行なわれることがあった。なお、コンスタンティノスは、この傷がもとで同年8月15日に死亡したと伝えられるが、一説では妻と都でひっそり暮らしたともされる。
- ^ 古代ローマ時代から女性がローマ皇帝になったことはなく、女帝は西方には認められていなかった。エイレーネーもこれを意識しており、自らを「バシリサ(英語で言う"empress", 皇后あるいは女帝)」ではなく男性形で「バシレウス(皇帝)」と名乗った。また、カール大帝とエイレーネーの再婚話やカールの娘とコンスタンティノス6世の婚約話もあったというが、いずれも実現せずに終わった。東ローマ帝国は当初カールの皇帝権を容易に承認しようとはしなかったが、エイレーネー死後の812年に両者の間で妥協が成立し、東ローマはカールの帝位を認め、その代わりカールは南イタリアの一部と商業の盛んなヴェネツィアを東ローマ領として譲り渡すことを承認した。また、フランク王国と東ローマ帝国の関係が悪化したとき、カール大帝はハールーン・アッ=ラシードと提携して対抗しようとしている。「シャルルマーニュの護符」はこのとき、ハールーン・アッ=ラシードより贈られたものと言われる。
- ^ 当時は第5代カリフのハールーン・アッ=ラシードの下で全盛期を迎えていた。
- ^ かつてはこのヒエレイア教会会議が第七回全地公会議であったが教会により取り消され、第2ニカイア公会議が第七回全地公会議となった。
出典
- ^ a b c ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 孤児から皇妃へ
- ^ a b ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 偽りの誓いによる結婚
- ^ a b c d ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 病の夫
- ^ a b ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 「ヘレナ」と「ヘロデ」の権力闘争
- ^ a b c d e f ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 戦車に乗る女帝
- ^ リンダ・ガーランド『Byzantine Empresses: Women and Power in Byzantium AD 527-1204』Routledge、1999年
- ^ a b c d ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 女帝エイレーネーの最後
- ^ 瀬戸一夫 『時間の民族史―教会改革とノルマン征服の神学』 勁草書房、2003年
- ^ a b ビザンツ年代記の編纂, p.825
- ^ ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 権力に溺れた聖人 ―エイレーネーの時代
- ^ 『西洋史学 No.174』日本西洋史学会、1994年
- ^ a b c ギリシア正教 東方の智, 第二章 教会分裂の始まり, ③ビザンツ帝国の危機から聖画像論争まで, 第七回全地公会議
- ^ ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 新しい「ヘレナ」の誕生
- 1 エイレーネー (東ローマ女帝)とは
- 2 エイレーネー (東ローマ女帝)の概要
- 3 参考書籍
「Irene of Athens」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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