Irene of Athensとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Irene of Athensの意味・解説 

エイレーネー (東ローマ女帝)

(Irene of Athens から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 13:06 UTC 版)

エイレーネー“アテナイア”ギリシア語Ἐιρήνη ἡ Ἀθηναία, Eirēnē hē Athēnaiā752年 - 803年8月9日)は、東ローマ帝国イサウリア王朝の第5代皇帝(在位:797年 - 802年)。同王朝第3代皇帝レオーン4世皇后で、第4代皇帝コンスタンティノス6世の生母。ローマ帝国史上初の女帝である。中世ギリシア語読みでは「イリニ」で、「平和」の意である。渾名の“アテナイア”は「アテナイ人」の意であり、生地がアテナイであったことによる。


注釈

  1. ^ ローマ皇帝の即位の条件には「五体満足でなければならない」という不文律があった。このため、二度と帝位に就けないように、失脚した皇帝の目を潰したり、鼻や耳などを削いでしまうという残酷な処罰が行なわれることがあった。なお、コンスタンティノスは、この傷がもとで同年8月15日に死亡したと伝えられるが、一説では妻と都でひっそり暮らしたともされる。
  2. ^ 古代ローマ時代から女性がローマ皇帝になったことはなく、女帝は西方には認められていなかった。エイレーネーもこれを意識しており、自らを「バシリサ(英語で言う"empress", 皇后あるいは女帝)」ではなく男性形で「バシレウス(皇帝)」と名乗った。また、カール大帝とエイレーネーの再婚話やカールの娘とコンスタンティノス6世の婚約話もあったというが、いずれも実現せずに終わった。東ローマ帝国は当初カールの皇帝権を容易に承認しようとはしなかったが、エイレーネー死後の812年に両者の間で妥協が成立し、東ローマはカールの帝位を認め、その代わりカールは南イタリアの一部と商業の盛んなヴェネツィアを東ローマ領として譲り渡すことを承認した。また、フランク王国と東ローマ帝国の関係が悪化したとき、カール大帝はハールーン・アッ=ラシードと提携して対抗しようとしている。「シャルルマーニュの護符」はこのとき、ハールーン・アッ=ラシードより贈られたものと言われる。
  3. ^ 当時は第5代カリフハールーン・アッ=ラシードの下で全盛期を迎えていた。
  4. ^ かつてはこのヒエレイア教会会議が第七回全地公会議であったが教会により取り消され、第2ニカイア公会議が第七回全地公会議となった。

出典

  1. ^ a b c ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 孤児から皇妃へ
  2. ^ a b ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 偽りの誓いによる結婚
  3. ^ a b c d ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 病の夫
  4. ^ a b ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 「ヘレナ」と「ヘロデ」の権力闘争
  5. ^ a b c d e f ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 戦車に乗る女帝
  6. ^ リンダ・ガーランド『Byzantine Empresses: Women and Power in Byzantium AD 527-1204』Routledge、1999年
  7. ^ a b c d ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 女帝エイレーネーの最後
  8. ^ 瀬戸一夫 『時間の民族史―教会改革とノルマン征服の神学』 勁草書房、2003年
  9. ^ a b ビザンツ年代記の編纂, p.825
  10. ^ ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 権力に溺れた聖人 ―エイレーネーの時代
  11. ^ 『西洋史学 No.174』日本西洋史学会、1994年
  12. ^ a b c ギリシア正教 東方の智, 第二章 教会分裂の始まり, ③ビザンツ帝国の危機から聖画像論争まで, 第七回全地公会議
  13. ^ ビザンツ皇妃列伝, 4 エイレーネー (七五二頃~八〇三年), 新しい「ヘレナ」の誕生


「エイレーネー (東ローマ女帝)」の続きの解説一覧

「Irene of Athens」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Irene of Athensのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Irene of Athensのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエイレーネー (東ローマ女帝) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2024 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2024 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2024 GRAS Group, Inc.RSS