コンスタンティノス6世
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コンスタンティノス6世(ギリシア語:Κωνσταντίνος ΣΤ' (Kōnstantinos VI))、771年1月14日 - 797年?)は、東ローマ帝国イサウリア朝(シリア朝)の第4代皇帝(在位:780年 - 797年)。同王朝第3代皇帝レオーン4世の子。
- ^ a b 井上、p. 117
- ^ ローマ皇帝の即位の条件には「五体満足でなければならない」という不文律があった。このため、二度と帝位に就けないように、失脚した皇帝の目を潰したり、鼻や耳などを削いでしまうという残酷な処罰が行なわれることがあった(井上、p. 125)。
- ^ 井上、pp. 125 - 126
- ^ 尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』 東海大学出版会、1999年
- ^ アンリ・ピレンヌ 『ヨーロッパ世界の誕生』 創文社、1960年
- ^ ジェームズ・ブライス 『神聖羅馬帝国』 国民図書、1924年
- ^ 成瀬治 他 『世界歴史大系 ドイツ史1』 山川出版社、1997年
- ^ 井上、p. 120
- ^ 井上、p. 121
- ^ a b 井上、p. 123
- 1 コンスタンティノス6世とは
- 2 コンスタンティノス6世の概要
固有名詞の分類
幼君 | ヨハン・フォン・ルクセンブルク キルデリク2世 コンスタンティノス6世 フランチェスコ・ファルネーゼ ダゴベルト3世 |
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