GPUの普及とSGIの衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 15:54 UTC 版)
「3DCGソフトウェアの歴史」の記事における「GPUの普及とSGIの衰退」の解説
1993年、SoftimageはDiscreet Logicとの裁判を抱えてしまい、1994年、MicrosoftがSoftimageを買収した後、裁判が和解となった。1994年、Alias ResearchはNintendoと契約を結び、PowerAnimatorはゲーム業界でも成功を収めた。一方、同年、WavefrontはAtari Jaguar用のゲーム開発キットであるGameWareを開発したものの、Atari Jaguarは失敗に終わった。1995年、SGIはAlias ResearchとWavefrontを買収・合併し、Alias|Wavefrontを誕生させた。同年5月、MicrosoftはWindows NT 3.51にOpenGLを搭載したものの、同年2月にMicrosoftはReality Lab APIの開発元であるRenderMorphicsを買収しており、1996年にはDirectX 2.0にそれをDirect3Dとして導入し、SoftimageはWindows NTへの移植やゲーム開発向け機能の強化が行われていった。 1993年、AutodeskはHOOPS 3D Graphics System(英語版)の開発元であるIthaca Software (旧Flying Moose Systems and Graphics)を買収し、1996年、Autodeskは、HOOPS 3D Graphics Systemベースの独自ハードウェアアクセラレーションAPIであるHEIDIを使用して、Windows NT版の3D Studio Max (現3ds Max) をリリースしたものの、1997年の3D Studio Max R2でOpenGLに対応させた。 1997年から、ハリウッドではUNIXと互換性の高くIRIXから移行しやすいLinuxがレンダーファームで使われ始めた。1997年、MicrosoftとSGIが、OpenGLとDirectXの統合を目指すFahrenheitプロジェクトを開始した。1998年、SGIの子会社であるAliasがIRIX上でMayaをリリースし、映画業界ではIRIXを冷遇していたSoftimageからの離脱が起きはじめた。同年、MicrosoftはSoftimageをAvidに売却し、1999年にはFahrenheitプロジェクトも頓挫した。同年、SGIは同社初のWindows NTワークステーションであるSGI Visual Workstationを発売したものの、PC用の安価なGPUが普及したこともあり、日本以外での業績の悪化が続き、Windows NTはスケールしないとして、2000年5月にプライマリOSをLinuxへと変更した。同年2月、Alias|WavefrontはMayaのLinux版を発売し、翌2001年、AvidはSoftimageのLinux版をリリースした。同年、HPもLinuxワークステーションに参入した。 ゲームにおいては、Windowsが普及し、GPUによる3Dアクセラレーションが普及することで、3DのPCゲームが広がった。ゲーム用の高速な3D APIは、当初GPUベンダー毎に用意されていたため (VoodooのGlide、RenditionのRRedline(英語版)(旧Speedy3D)、PowerPCのSGL、ATIのCIF、S3のS3D/MeTaL、MatroxのMSI(英語版)、CreativeのCGL、NVIDIAのNVLIBなど)、互換性のためにミドルウェアAPI (Argonaut SoftwareのBRender、Criterion SoftwareのRenderWare、RenderMorphicsのReality Lab、GSSのDGIS、Intelの3DRenderなど) が発達したものの、MicrosoftがRenderMorphicsを買収してReality LabをDirect3Dとして導入すると、Direct3Dに収束していった。しかし、Direct3Dにもバージョン互換の問題[要説明]があるため、ゲームエンジンは発展しつづけた。
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