A3M1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/07/13 10:35 UTC 版)
三菱では後に零式艦上戦闘機を生むことになる堀越二郎技師が初めて設計主務者を担当し、1933年(昭和8年)2月末に試作一号機が、続いて二号機が完成した。三菱社内における機種番号は「1MF10」。1933年3月に飛行試験が開始されたが、飛行時の安定性が極めて悪く、一号機は同年7月の急降下試験中に垂直安定板が折損して墜落。二号機も1934年(昭和9年)6月の試験飛行中にフラットスピンに陥り墜落してしまった。なお、パイロットは二回とも落下傘降下で脱出に成功している。 機体は低翼単葉で、総ジュラルミン製の骨組に金属応力外皮の胴体と羽布張りの純片持式主翼を持つ。主翼に鈑ヴェヴ式の翼桁によるガーダー構造を採用するなどの先進的な試みがなされていたが、細部には未成熟な点も多く、上記の事故に加えて操縦性と前方視界が悪いという艦載機として致命的な欠陥を抱えていたため不採用となった。なお、一号機と二号機では固定脚の形式が異なり、一号機では剥き出しの三支柱式を、二号機では脚全体がスパッツで覆われた単支柱式を採用している。
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