2010年-2012年(QSL)第2のフォサッティ時代
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「アル・サッド」の記事における「2010年-2012年(QSL)第2のフォサッティ時代」の解説
2010-11 ウルグアイ人のホルヘ・フォサッティが2007年以来2回目の監督に就任した。ガラタサライからアブドゥル・カデル・ケイタを移籍金800万ユーロ(約8億8000万円)で獲得した。 AFCチャンピオンズリーグの本戦をかけてプレーオフ準決勝からアル・サッドは出場した。2月12日、AFCチャンピオンズリーグ2011のプレーオフ準決勝ホームでシリアのアル・イテハド・アレッポと戦い5-1で勝利した。2月19日にはAFCチャンピオンズリーグ2011のプレーオフ決勝で本戦出場をかけてホームでインドのデンポSCと戦い2-0で勝利し、8回目の本戦出場を果たした。 8回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグ2011の予選でアル・ナスル、エステグラル、パフタコールのグループBを2勝4分で首位通過して決勝トーナメントに進出した。 ACL2011のラウンド16でアル・シャバブと対戦した。ホームでの一発勝負を1-0で勝利し準々決勝に進出した。 カタール・スターズリーグは11勝3分8敗で12チーム中6位でシーズンを終了した。アミールカップは準々決勝でアル・ガラファに1-3で敗れて敗退した。AFCチャンピオンズリーグ2012の出場権を逃した。 2011-12 2011年9月6日、フェネルバフチェSKからセネガル代表のママドゥ・ニアンを750万ユーロで獲得した。 ACL2011の準々決勝でセパハンと対戦した。アウェイの第1戦を0-1で敗れたが、試合後にこの試合に出場したゴールキーパーが出場停止処分を受けている間であったことが発覚したため、没収試合(アル・サッドの3-0での勝利扱い)とされた。ホームでの第2戦は1-2で敗れたが合計スコア4-2で準決勝に進出した。準決勝で水原三星ブルーウィングスと対戦した。アウェイの第1戦を0-2で勝利した。この試合は負傷選手の治療のために水原の選手がボールをタッチラインに蹴りだしたのだが、アルサッドは即座にスローインしてプレイを再開。水原の選手があっけにとられる間にゴールを決めたことが問題となり口論にまで及んだ。ホームの第2戦は0-1で敗れたが合計スコア2-1で決勝に進出した。結果的に第1戦のアウェーゴールが決勝点となった。決勝で全北現代モータースと対戦した。全州ワールドカップ競技場で完全アウェイの中行われた一発勝負を2-2(PK戦で2-4)で勝利し、アル・サッドは前身の一つでもあるアジアクラブ選手権1988-89以来22大会ぶり2回目のAFCチャンピオンズリーグ優勝を果たした。 カタール勢としては初めてFIFAクラブワールドカップ2011にAFC代表として初出場し、準々決勝でエスペランス・チュニス(チュニジア)に2-1で勝利して準決勝に進出した。準決勝でバルセロナ(スペイン)に0-4で敗れたが、3位決定戦で柏レイソル(日本)に0-0(PK戦で3-5)で勝利し、大会3位を達成した。 AFCチャンピオンズリーグ2012は前年度優勝枠がなく出場できなかった。 カタール・スターズリーグは10勝6分6敗で12チーム中4位でシーズンを終了した。 2012年5月19日、ACL2011で優勝に導いたホルヘ・フォサッティ監督が契約満了で退任した。アブドゥル・カデル・ケイタが退団した。
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