2000年代後半以降の嫌韓など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 13:04 UTC 版)
「嫌韓」の記事における「2000年代後半以降の嫌韓など」の解説
韓国の李明博大統領は自身の支持率を高めるために、竹島上陸や天皇への謝罪要求などを次々と行った。韓国のマスコミも、中央日報が「広島と長崎に原爆が投下されたのは『神による懲罰』」という論評を発表し、日本政府から抗議を受けるなど、日本に対する攻撃的論調を強めた。日本の世論も嫌韓が主流となり。また韓国のインターネット組織のVANKは国際社会でのディスカウントジャパン運動を推進した。行動する保守などの右派系市民団体は韓国の日本に対するレイシズムへの抗議と称し、デモなどを活発に行うようになった。 2013年に韓国大統領が朴槿恵に交代すると、韓国の反日は先鋭化。一方、日本でも韓国食品は深刻な売り上げ不振に見舞われ、韓国のある食品メーカー関係者は2015年に「2,3年前から日本で反韓ムードが広まり、酒の席でも韓国焼酎やマッコリを飲まない雰囲気が生まれている」と述べた。
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