1984年 - 1985年
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「メジロアンタレス」の記事における「1984年 - 1985年」の解説
1984年は1月の障害オープンで6頭立ての3着、続く東京障害特別(春)でも後方のまま9頭立ての7着に敗れるなど不調であり、春の大障害でも6頭立ての最低人気という状況だった。しかし、圧倒的1番人気のキングスポイントが水濠で故障し、続く障害を越えた後に競走中止。2番人気のオキノサキガケも飛越が悪く、大竹柵を越えて最後方に下がった。先頭に立っていたメジロアンタレスは大土塁の飛越でメジロジュピターに交わされたもののそのまま2着を確保。6頭立てながら連複108.3倍の波乱となった。5月の京都大障害では直線で後退して5着に終わり、その後オープンの新潟障害ステークスと中山のオープンに連勝したものの、秋の東京障害特別では他馬より2kg以上重い61kgで出走して5着に終わった。 暮れの中山大障害は7頭が出走。メジロアンタレスは出ムチを入れてハナを主張したが、最初の障害を越えて1番人気ライバコウハクが先頭に立つ。メジロアンタレスは大竹柵でややバランスを崩すものの他は安定した飛越で2番手を進み、直線を向いて逃げるライバコウハクをゴール手前で捕らえて優勝。同年の最優秀障害馬に選出された。 1985年は1月の障害勝入で3着、続く東京障害特別でも不良馬場のなか追走がままならず、1着のピーチシャダイから3秒差の5着に敗れた。春の大障害では先行していたため大竹柵での後続の大量落馬には巻き込まれなかったものの、大土塁を越えて徐々に後退していき、優勝したブルーフラールから大差の3着となった。その後夏から秋にかけてオープン競走に出走したが勝てず、秋の東京障害特別は直線で内からオンワードボルガに並びかけようとしたが、最後は逆に離されて3馬身差の2着、秋の大障害は水濠と大竹柵でバランスを崩して3着に敗れ、結局この年は未勝利に終わった。
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1984年・1985年
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「ガイズ&ドールズ (宝塚歌劇)」の記事における「1984年・1985年」の解説
※氏名の後ろに「宝塚」、「東京」の文字がなければ両劇場共通。 翻訳:青井陽治 訳詩:岩谷時子 音楽:寺田瀧雄/高橋城 音楽指揮:岡田良機(宝塚)、北沢達雄(東京) 振付:山田卓 装置:石濱日出雄/関谷敏昭 衣装:静間潮太郎 照明:今井直次 小道具:万波一重 効果:川ノ上智洋 音響監督:松永浩志 振付助手:立ともみ メイキャップ指導:美山しぐれ 演出補:三木章雄 演出助手:石田昌也/日比野桃子 製作担当:柏原正一(東京) 制作:山田謙治
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