1980年代:売春形態の多様化
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「大韓民国における売買春」の記事における「1980年代:売春形態の多様化」の解説
経済成長の結果、1980年代には韓国人男性をメインターゲットとした施設も発生した。光州事件で反発する民心をなだめるため大統領・全斗煥が行ったさまざまな政策として規制緩和が行われた結果である。1976年と1988年の企業接待費を比較すると、12倍に増えた。結果として2002年の調査では成人男性の半数は買春経験があり、少なくとも33万人の女性が売春産業に関わっており、経済規模は年間で24兆ウォンという巨大産業へと進展した。キャバレーなどの飲食メインの業態や、カフェ、宿泊施設、浴場、理髪店などとの複合的な売春施設といった幅広い営業形態もこのころに合法的に広まった。 1989年:一般人への海外旅行解禁以降 1989年に一般の韓国人の海外旅行が自由化・解禁された。 1990年代以後、アメリカ軍の基地村での売春は衰退していった。また、このころより女性学の視点から売春に関する用語を見直す流れが生まれた。たとえば「売春」の「春」の字は男性側の視点から用いられるもので、かつポジティブなイメージがあると指摘し、代替として「性売買」という用語が用いられるようになった。この用語は次節に示す2004年制定の法律、性売買特別法でも使われることとなる。
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