1960年8月のクーデターとは? わかりやすく解説

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1960年8月のクーデター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 23:24 UTC 版)

コン・レー」の記事における「1960年8月のクーデター」の解説

1960年8月8日、ほぼ全ての閣僚シーサワーンウォン前国王の葬儀準備のために王都ルアンパバーン向かい首都ヴィエンチャン留守にした。この機を捉えコン・レー大尉クーデター決行する。 翌8月9日早朝600人の第2パラシュート大隊率いてヴィエンチャン郊外の仮駐屯地出発し、わずか3時間で首都主要機関占拠した対す政府軍は数倍もの兵力数にもかかわらず士気低く戦闘技術無かったため、抵抗することなく降伏するメコン川対岸タイ領に逃亡した同日コン・レーは反腐敗外国不干渉外国軍撤退国際的中立あらゆる国からの援助受け入れ、の4項目の政策放送したまた、全軍に対してパテート・ラーオ軍への攻撃停止布告しパテート・ラーオに対して新政府への協力呼びかけた。 8月11日コン・レー大衆集会演説しラオス人同士争い腐敗外国人による支配終止符呼びかけ国王に対してスワンナ・プーマ親王首相に任命するよう要請したラオス国民戦争に膿み疲れており、ヴィエンチャンでも学生中心に庶民から熱狂的に歓迎された。また、ヴィエンチャンからの脱出途上にあったヌーハック等のパテート・ラーオ幹部とも接触し政治・軍事での協力合意したヴィエンチャン議会8月13日59人中41人の議員出席して満場一致によりソムサニット(英語版内閣不信任可決するとともにプーマ首相任命要請した14日、ソムサニット内閣国王辞表提出し国王プーマ組閣命じた。こうして16日にはプーマ第3次内閣発足し、翌17日議員34人の満場一致内閣承認した8月18日コン・レークーデター終了宣言した

※この「1960年8月のクーデター」の解説は、「コン・レー」の解説の一部です。
「1960年8月のクーデター」を含む「コン・レー」の記事については、「コン・レー」の概要を参照ください。

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