黒夢
黒夢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/11 22:39 UTC 版)
アレンシア人の悪い夢が実態を持ったもの。その結晶は黒晶石と呼ばれ、手にした者は瞬時に精神を蝕まれ例外なく死に至る。
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黒夢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:01 UTC 版)
黒夢以前に在籍したバンドはダブルベッド→SUS4→GARNET。 1991年に岐阜県を拠点として、ex.GARNETの清春とex.GERACEEの臣を中心にGARNETで一緒に活動していた人時、鋭葵と共に「黒夢」を結成する。 バンド名は「眠っていて視界が真っ暗になる状態」「夢を見ていないから真っ黒な夢」つまり「夢がない」「夢は叶わない」という意味である。これは黒夢結成当時周りのヴィジュアル系 (当時は「化粧系」と言われていた) のバンドのほとんどが「幻想」「幻覚」「刹那」といったものをテーマとして取り上げていた事に対して「そういう事は全て御伽話なんだよ」「夢ばかり見てないで現実を見なよ」というアンチテーゼであった。また、当時バンド名に主に英語やフランス語等を使用した清春曰く「ラ行が多い」物であった事から、清春自身が戦略の為「絶対に漢字がいい」と、前身バンドGARNETの楽曲であった「黒夢」をバンド名にする事を決めたとも語っている。 愛知県名古屋市名東区小池町のライブハウス「MUSIC FARM」を活動拠点としてインディーズでの活動を続け、地元のラブホテル(アマルハウト)やレンタルビデオ店、ビデオカメラの部品工場でアルバイトをしながらミュージシャンを目指していた。 8月3日、名古屋エンゼルパークで初ライヴ。同月、1stデモテープ「黒夢」を名古屋MUSIC FARMにて100本限定販売。11月、名古屋MUSIC FARMで初ワンマン。 ミュージシャンになれなかったら建築板金の実家を継ぐ予定であったが、1994年の25歳のときに黒夢のヴォーカルとして東芝EMIからメジャー・デビューを飾った。 インディーズの時代から続いて1990年代の序盤までは今に言うヴィジュアル系と見做される外貌を保持していたが、この年代も中盤に近づく頃からしだいに化粧を薄めると同時にカジュアルな服飾を志向し始め、黒夢のヴォーカルとしての活動の傍ら、一種のファッション・リーダーとしての人気を一身に集めてゆく。 1990年代後半ころにはクロムハーツのアクセサリーとラバーソールがトレードマークで、その人気の火付け役となり、清春のある種のトレードマークとも謳われるほどであった。 数多のファッション雑誌にも頻繁に登場し、特に青少年の年頃の男子達からのカリスマ的な支持を受けつつ活動を続けた。
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