鹿苑僧録とは? わかりやすく解説

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鹿苑僧録

読み方:ロクオンソウロク(rokuonsouroku)

室町時代五山・十刹諸山官寺禅院統轄した僧職


僧録

(鹿苑僧録 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 15:43 UTC 版)

僧録(そうろく)は、僧侶の登録・住持の任免などの人事を統括した役職である。


  1. ^ 賛寧大宋僧史略』巻中「左右街僧録」
  2. ^ この他、貞治5年(1366年)に高麗から使者が来日した際、2代将軍足利義詮から仮の僧録の資格が与えられて交渉に当たったことはある。
  3. ^ 高鳥廉「戦国期の蔭涼職と幕府政治」『足利将軍家の政治秩序と寺院』(吉川弘文館、2022年) ISBN 978-4-642-02976-6)P316-317.
  4. ^ 今枝愛真『中世禅宗史の研究』東京大学出版会、1970年
  5. ^ 財団法人禅文化研究所『新日本禅宗史〈時の権力者と禅僧たち〉』


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鹿苑僧録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 09:57 UTC 版)

僧録」の記事における「鹿苑僧録」の解説

日本では建武3年1336年)、足利尊氏によって禅律方ぜんりつがた)が設置され禅宗臨済曹洞両宗)及び律宗真言律宗を含む)を統括した。禅律方には細川和氏藤原有範藤原南家)、六角氏頼赤松則祐らが任命された。 後に禅律方室町幕府正式な機関となり、僧録司そうろくし)と呼ばれるうになる1379年春屋妙葩初代僧録司任じられた。 1398年絶海中津僧録司任じられる当時中津相国寺塔頭寺院である鹿苑院の院主であり、以後鹿苑院院主僧録司兼務するようになり、鹿苑僧録(ろくおんそうろく)と呼ばれるようになった。 鹿苑僧録は臨済宗事実上最高機関として五山以下の諸寺を統括し、諸寺の寺格決定住持任免所領訴訟などの処理を行った。後に名誉職化して皇族などが僧録司任じられるうになると、僧録司幕府連絡であった蔭涼職いんりょうしき)が実務責任者として台頭した蔭涼職就任した人物では8代将軍足利義政側近取り立てられ季瓊真蘂知られる

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