僧録
鹿苑僧録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 09:57 UTC 版)
日本では建武3年(1336年)、足利尊氏によって禅律方(ぜんりつがた)が設置され、禅宗(臨済・曹洞両宗)及び律宗(真言律宗を含む)を統括した。禅律方には細川和氏、藤原有範(藤原南家)、六角氏頼、赤松則祐らが任命された。 後に禅律方は室町幕府の正式な機関となり、僧録司(そうろくし)と呼ばれるようになる。1379年、春屋妙葩が初代の僧録司に任じられた。 1398年、絶海中津が僧録司に任じられる。当時、中津は相国寺の塔頭寺院である鹿苑院の院主であり、以後鹿苑院の院主が僧録司を兼務するようになり、鹿苑僧録(ろくおんそうろく)と呼ばれるようになった。 鹿苑僧録は臨済宗の事実上の最高機関として五山以下の諸寺を統括し、諸寺の寺格決定や住持の任免、所領・訴訟などの処理を行った。後に名誉職化して皇族などが僧録司に任じられるようになると、僧録司と幕府の連絡役であった蔭涼職(いんりょうしき)が実務の責任者として台頭した。蔭涼職に就任した人物では8代将軍足利義政の側近に取り立てられた季瓊真蘂が知られる。
※この「鹿苑僧録」の解説は、「僧録」の解説の一部です。
「鹿苑僧録」を含む「僧録」の記事については、「僧録」の概要を参照ください。
- 鹿苑僧録のページへのリンク