高千穂丸の最期
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1943年3月14日19時、高千穂丸は神戸を出港。瀬戸内海を通過して門司に到着。 3月17日正午、高千穂丸は船客913名、乗組員その他176名を乗せ、雑貨2,614トンを積み込んで門司を出港し基隆に向かった。航海中、船内では連日避難訓練を行って不測の事態に備えていた。しかし、台湾近海では3月15日に富士丸が雷撃を受けて間一髪被害を逃れる事態もあり、安全は保障されていなかった。 3月19日朝、高千穂丸ではこの日も避難訓練を行っていた。 9時30分、基隆沖アジンコート(彭佳嶼)北東に差し掛かった時、アメリカ海軍潜水艦キングフィッシュ (USS Kingfish, SS-234) から魚雷が発射された。高千穂丸はすぐさま取舵で魚雷をかわしにかかり、1本目はかわしたものの、2本目が右舷船尾に命中。続いて新たな魚雷2本が命中。1本は不発だったが、もう1本が右舷船倉に命中し、高千穂丸は急激に右側に傾いていった。被雷のショックで無線装置が破壊され、救命ボートも3艇しか降下できなかった。 9時39分、高千穂丸は乗客乗員844名を乗せたまま沈没。脱出した245名はボートに分乗し、アジンコートにたどり着いて救助された。近辺の艦船には遭難の報が伝わらず、すぐさま救助には駆けつけなかった。3月24日、逓信省は高千穂丸遭難を公表した。
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