霊南坂教会設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 17:06 UTC 版)
明治12年(1879年)10月、上京し、京橋区新肴町に組合派の新肴町教会を設立、12月に按手礼を受けた。牧師としての収入は熊本洋学校時代と同じ2円で生計は苦しかったが、一致神学校での教師活動や翻訳活動でそれを補った。 明治13年(1880年)3月には植村正久、井深梶之助、田村直臣、平岩愃保らとともに東京キリスト教青年会 (YMCA) を創設し初代会長となり、10月にはキリスト教をはじめとした思想一般に加え社会問題も取り扱った青年会機関誌『六合雑誌』を創刊。同誌にて、初期社会主義思想を紹介した「近世社会党ノ原因ヲ論ズ」を発表した。 明治15年(1882年)、新肴町教会と粟津高明の日本教会とが合併して東京第一基督教会となる。 明治16年(1883年)には週刊新聞『基督教新聞』を刊行し、植村正久らとともに出版社「警醒社」を設立、同社から明治19年(1886年)6月に『政教新論』という本を刊行した。同書は、従来の宗教としての儒教に代って、新しい時代の日本におけるキリスト教の重要性を説いたものであった。同年、赤坂霊南坂に教会堂を建立し、また番町教会を設立する。番町教会では宮崎滔天が受洗している(のちに棄教)。 明治24年(1891年)に赤坂霊南坂教会を霊南坂教会に改称する。
※この「霊南坂教会設立」の解説は、「小崎弘道」の解説の一部です。
「霊南坂教会設立」を含む「小崎弘道」の記事については、「小崎弘道」の概要を参照ください。
- 霊南坂教会設立のページへのリンク