雷銅とは? わかりやすく解説

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雷銅Lei Tong

ライドウ

(?~218?)

劉備の将。「雷同」とも書く《先主伝》。

建安二十二年(二一七)、呉蘭とともに武都郡下弁進撃するも、翌年三月曹洪敗れて全滅する先主周羣伝》。

史書呉蘭取り上げて雷銅の事跡詳しく伝えないが、『周羣伝』に「全滅して帰らず」とあるので、おそらく雷銅も呉蘭とともに殺されたのだろう。

参照呉蘭 / 曹洪 / 劉備 / 下弁県 / 武都郡


雷銅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 04:37 UTC 版)

雷 銅(らい どう)は、中国後漢末期の人物。劉備配下の武将。

建安23年(218年)、劉備の命で呉蘭と共に武都郡へ侵攻したが、曹操配下の曹洪によって全滅に追い込まれた[1]

三国志演義

羅貫中の小説『三国志演義』では、版によっては雷同と表記される。初めは劉璋配下の将として登場。劉備軍の侵攻に対し、呉懿の推薦を受けてその副将となり、彼と共に雒城を守る[2]張任龐統を射殺すると、勢いに乗って雒城から出撃し攻撃をかけるなど、一進一退の攻防を繰り広げた[3]。4日目の戦闘でも魏延黄忠を相手に攻勢をかけていたが、劉備と張飛に帰路を断たれて降伏。以降は劉備配下の将となる[4]

漢中を中心とする曹操軍との攻防では、張飛に従って巴西郡を守る。巴西は張郃の攻撃を受けるが、雷銅は伏兵の設置を献策し、また張飛の策に従って敵の支隊を撃ち破るなど貢献。一度は張郃を撃退する。しかし再度出撃してきた張郃との遭遇戦で、負けた素振りを見せ敗走する張郃を追撃。そこを伏兵からの挟撃に遭い、最期は張郃によって刺殺される[5]

脚注

  1. ^ 陳寿撰、裴松之注『三国志』蜀書先主伝、及び魏書武帝紀より。なお武帝紀では、呉蘭ら(雷銅の名は記さず)は建安22年から(武都郡の)下弁に駐屯したが、翌年に曹洪によって撃ち破られたとしている。
  2. ^ s:zh:三國演義/第062回
  3. ^ s:zh:三國演義/第063回
  4. ^ s:zh:三國演義/第064回
  5. ^ s:zh:三國演義/第070回

雷銅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:45 UTC 版)

三國志曹操伝」の記事における「雷銅」の解説

劉備配下張郃一騎討ちをした場合張郃呆れられた事に怒りを向けるが討ち取られてしまう。

※この「雷銅」の解説は、「三國志曹操伝」の解説の一部です。
「雷銅」を含む「三國志曹操伝」の記事については、「三國志曹操伝」の概要を参照ください。

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