呉懿
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呉 懿(ご い)は、中国後漢末期から三国時代の蜀漢の武将。『三国志 (歴史書)』では
- ^ 「呉懿」は『華陽国志』や『三国志演義』の表記。一般的に、三国志では司馬懿の諱を避けたがために、「懿」を「壹」に変えたと解釈される。確かに三国志の魏書は司馬懿を「司馬宣王」と書くが、会話文中では「司馬懿」と書く場合もある。蜀書では地の文でも「司馬懿」と記載する場合もあり、後主伝では「呉壹」「司馬懿」、王平伝では「呉壹」「司馬宣王」と記載する。なお、呉壹は魏書・呉書では登場しない。唐の顔師古は、班壹(班超の祖先)と聶壹(張遼の祖先)とを挙げて「今、流通する漢書の写本は、(司馬懿の諱を避けたと早合点して)壹を懿に改めるものが多い」と批判するが、呉壹もこの風潮から免れなかったと推測される。
- ^ 『呉氏統譜』は呉莧と記す。
- ^ 『呉氏統譜』は呉教と呉彦の二子を記す。
- ^ a b 穆皇后伝が引く『蜀世譜』(孫盛著)による。
- ^ 『華陽国志』巻六・劉先主志、「偏將軍將軍呉懿爲關中都督」。名前の序列は諸葛亮・許靖・張飛・馬超の次で魏延・李厳・馬良・楊儀の上にある
呉懿
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「三国志 (横山光輝の漫画)」の記事における「呉懿」の解説
元劉璋の配下。玄徳の蜀侵攻に際して応戦し、張任の策により張飛を追いつめるが、そこに現れた趙雲との一騎討ちに敗れて捕らわれ、玄徳の説得に応じて降伏する。北伐では呉班と共に魏軍を攻め、呉班は張虎に討たれたものの呉懿は苦戦する魏延軍を援護したため、難を逃れている。
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