陸軍第5次編制1990年から1992年
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「ドイツ陸軍 (ドイツ連邦軍)」の記事における「陸軍第5次編制1990年から1992年」の解説
東西間の緊張緩和で、既に連邦軍は最高で兵士95,000名の削減を考慮される。1990年に東西ドイツは再統一され、冷戦は終結するも核軍縮は継続した。 1990年に平時における兵力を1994年までに最大で370,000名にする事をソビエト連邦と合意した。連邦陸軍については旧東ドイツ国家人民軍との統合に伴い1990年10月時点で360,000名規模(このうち国家人民軍は58,000名)で、これから平時戦力255,000名を目標とする。これにより将兵約105,000名の削減を意味した。国家人民軍との統合後、連邦陸軍の指揮系統は14個師団と43個戦闘旅団(これに独仏合同旅団が追加される)、6個現役および6個非現役の郷土防衛旅団、26個部分的現役旅団で構成された。地域軍は野戦軍に合併され残余の組織は旧野戦軍に編入された。3個地域軍は軍団司令部との合併は実施されなかったが、唯一旧東ドイツ地域では東部地域司令部/軍団として編成され、防衛管区司令部の運用や東西軍事統合業務を実施する。野戦軍との合併前には8個防衛管区司令部が編制され師団司令部と合併するが、部分的にしか完全稼働しなかった。東ドイツ地域だけでは完全な範囲で合併が実施された。 1994年に第1空挺師団と第4装甲擲弾兵師団が合併して新編されたコマンドー空中機動部隊/第4師団は主に海外危機に対応するため戦術的に運用可能な編制となっていた。 1994年6月のドイツ駐留ソ連軍の撤退まではNATO指揮系統に組み込まれている野戦軍は配備されず、ドイツ国家主体で運用される地域軍のみが配備される。 NATOは1991年に洗練された新戦略を策定し、従来の柔軟暗反応戦略から転換した。この決定は1991年のNATOの核計画部会(de:Nukleare Planungsgruppe)による決定で戦術核兵器の放棄が決定された。国家人民軍から引き継いだ装備品については数年間で国外に売却、または破壊された。特に空挺部隊については特定要請への言及に基づき、軽量小型武器運搬車両のKraka(de:Kraka)からヴィーゼルに更新する。
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