陪審法の停止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 23:38 UTC 版)
ウィキソースに陪審法ノ停止ニ關スル法律の原文があります。 法定陪審事件又は請求陪審事件の要件を満たす事件は、全事件数の25%前後であったが、被告人が法定陪審事件で陪審を辞退したり、請求陪審事件でいったん陪審を請求しても請求を取り下げる例が多く、前述のとおり、実際に陪審審理に付された事件数はごくわずかであった。 これは、請求陪審で被告人が敗訴した場合、被告人が多額の陪審費用を負担させられたこと、陪審を選択した場合は控訴によって事実認定を争うことはできず、被告人にとっては危険な賭であったことなどが理由であるとされる。裁判官が陪審員の答申に拘束されないこと(陪審の更新)も、陪審制の意義を骨抜きにするものであった(法律上は陪審の更新に上限はなかったが、陪審員の拘束の問題もあり、3回以上更新された例はなかった)。 また、第二次世界大戦が激化するにつれ、市町村では徴兵業務の負担が重くなり、陪審員名簿の作成が難しくなってきたことから、市町村から陪審制停止の要望が出された。こうして、1943年(昭和18年)4月1日に「陪審法ノ停止ニ関スル法律」によって陪審法が停止されることになった。同法は附則3項において「今次ノ戦争終了後再施行ス」と規定していたが、再施行されないまま今日に至っている。
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