関東大震災による倒壊と復興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 09:00 UTC 版)
「大さん橋」の記事における「関東大震災による倒壊と復興」の解説
1923年9月1日の関東大震災により大桟橋は崩壊した。大桟橋には当時3隻の客船が接岸しており、カナダ太平洋汽船の「初代エンプレス・オブ・オーストラリア(英語版)」の船長サミュエル・ロビンソンが当時の救出活動や罹災状況につき詳細な記録を残している。ロビンソンは被災者の船上への救出活動などで活躍し、紅綬褒章を受章したのを始め、各国でも救助活動を高く評価され勲章を与えられている。大桟橋の復旧は1923年10月から始まり、1925年9月には完成した。1928年迄に2棟の上屋が建設され、チャータード銀行、香港上海銀行支店が開設され、帝国ホテル直営の桟橋レストランが開業した。 この頃から海運競争力維持や国威高揚も兼ねて日本船籍の新鋭客船新造が相次いだ。外国新造大型船も続々と入港するようになり、大桟橋は黄金期を迎え、多忙な桟橋となった。チャーリー・チャップリンの来日も大桟橋から始まるなど、大桟橋を場とした国際旅客の乗下船による文化交流が最も盛んな時代であったといえる。一方では、昭和恐慌により疲弊した農村部からの南米移民が急増した時代でもあり、大桟橋は南米移民の日本出発の最終拠点として、周辺の移民宿と共に歴史に大きな軌跡を残していくことになる。
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