銅板の制作年代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 05:54 UTC 版)
「長谷寺銅板法華説相図」の記事における「銅板の制作年代」の解説
本銅板には江戸時代以来の研究史があり、その中で最も大きな論点となってきたのが制作年代である。これについて片岡直樹は、「問題の解明には当然のことながら彫刻様式と銘文解釈の両面からのアプローチが必要となる。」と述べている。その彫刻様式は、白鳳様式(645年 - 710年)と奈良時代初期の様式(710年以降)の両説があり、銘文解釈は文中の、「奉為天皇陛下」、「歳次降婁漆菟上旬」、「奉為飛鳥清御原大宮治天下天皇」の3つが鍵となる。 「歳次降婁漆菟上旬」は戌年7月上旬の意であるが、いつの戌年であるか不明のため種々の説が出ている。686年説(丙戌年・天武天皇15年/朱鳥元年)、698年説(戊戌年・文武天皇2年)、722年説(壬戌年・養老6年)、770年説(庚戌年・宝亀元年)などがある。 研究史の当初から686年説が有力とされ、この説では銘文の天皇を天武天皇(在位・673年 - 686年)とみる。これは寺伝や書風によるところが大きいが、その後、足立康や福山敏男などの研究により、現在では698年説が有力視されている。この説では天皇を持統天皇(在位・690年 - 697年)とみる。
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