金森宗和とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 文化 > 娯楽 > 茶人 > 金森宗和の意味・解説 

かなもり‐そうわ【金森宗和】

読み方:かなもりそうわ

[1584〜1657]江戸初期宗匠宗和流の祖。名は重近。高山城主である父の可重(ありしげ)にを学ぶ。優美な風は公家好まれ、「姫宗和」とよばれた


金森宗和

読み方かなもり  そうわ

江戸前期茶人飛騨高山城金森出雲守可重の長男。名は重近。大徳寺の紹印伝双に参禅して剃髪宗和号する。父から茶道学び、のち宗和流開き侘び宗旦に対して宗和といわれ、天皇公卿衆の茶湯大い貢献した明暦2年(1656)歿、72才。

金森重近

(金森宗和 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/13 08:13 UTC 版)

金森 重近(かなもり しげちか、天正12年(1584年) - 明暦2年12月16日1657年1月30日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将茶人金森可重の長男。宗和(そうわ)ので知られる。宗和流茶道の祖。子に金森方氏[1]山下氏政室。


  1. ^ 後に加賀藩に2000石で仕えた
  2. ^ 加賀藩祖の前田利家は金森長近の元同僚であり、賤ヶ岳の戦いの際には両者が示し合わせて撤退している。


「金森重近」の続きの解説一覧

金森宗和(金森重近→金森宗和)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:58 UTC 版)

へうげもの」の記事における「金森宗和(金森重近→金森宗和)」の解説

飛騨大名金森長近の孫。仲の良い小堀作介同様おかまっぽく(美意識小堀の「きれい」に対し「かわいい」という差異がある)、戦など野蛮なものを嫌うが、幼少のころから長近に鍛えられたため、武芸秀でている。

※この「金森宗和(金森重近→金森宗和)」の解説は、「へうげもの」の解説の一部です。
「金森宗和(金森重近→金森宗和)」を含む「へうげもの」の記事については、「へうげもの」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「金森宗和」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



金森宗和と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「金森宗和」の関連用語

1
宗和 デジタル大辞泉
100% |||||

2
宗和流 デジタル大辞泉
100% |||||

3
金森 デジタル大辞泉
100% |||||



6
短冊箱 デジタル大辞泉
78% |||||

7
飛騨春慶 デジタル大辞泉
78% |||||




金森宗和のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



金森宗和のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2024 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの金森重近 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのへうげもの (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS