運航停止と再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:31 UTC 版)
「デ・ハビランド DH.106 コメット」の記事における「運航停止と再開」の解説
詳細は「コメット連続墜落事故」を参照 就航から1年の間に3機の Mk.I/IAが離着陸時の事故で失われたが、乗客に死者は出なかった。何れも高速機特有の挙動に不慣れなパイロットの操縦ミスによるものと判断されたが、マニュアルが改訂され運用法が変更された他、既存機にも失速性能向上のための改良が施された。 しかし1954年1月に、ローマのチャンピーノ空港を離陸後、イタリア近海を飛行中の英国海外航空のMk.I/IAが墜落し、乗客乗員35人が全員死亡した(英国海外航空781便墜落事故)。回収された残骸の状況などより空中分解が疑われ、本件事故の発生を受けた英国海外航空はコメット全機の運航を停止し、東京、シンガポール、ヨハネスブルグに駐機していた3機を、郵便物以外空席のまま低空飛行でロンドンに呼び戻した。 その後耐空証明を取り消されたが、問題部分と思われた個所を改修後に運航が再開された。しかし運航再開後の同年4月にも、イタリア近海を飛行中の南アフリカ航空のMk.I/IA機が墜落し、乗客乗員21名が全員死亡した(南アフリカ航空201便墜落事故)。 2度に渡る空中分解を受けてコメットは再び耐空証明を取り消され、全機運航停止処分になった。この時も羽田空港に滞在していた英国海外航空機が、運航停止の報を受けて乗客を乗せず、低高度飛行をして急遽本国に取って返している。
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