農業・手工業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:29 UTC 版)
江南デルタは稲の穀倉地帯だが、明末においては重税の地域でもあり、小作料を払ったあとの米は1年分の食料にも不足する量だった。農民が納税用の銀を得るための副業として、養蚕と生糸の生産が盛んに行われた。生糸は重要な輸出品であったが、養蚕には手間がかかり、生糸をとる器具のために農民は借金をした。銀が軍事費として北方へ流れるために各地は銀不足で、銀を貸す商人に対して農民は弱い立場にあった。このため明末には農民の貧困についての記録が多い。加えて明末には水田の荒廃が進んだ。豊かになった地主が都市に住むようになって不在地主が増えたため、農村の実情を把握しなくなり水田の維持が困難となった。 16世紀から、アメリカ大陸原産のトウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモが導入された。これらは山地の傾斜地や荒地で栽培できたため、稲や麦などの主要作物と競合せずに作れた。このため栄養状態が改善してゆき、国内の混乱が収まる17世紀後半からは人口増加につながった。また、トウガラシやタバコも同じ時期に普及し、換金作物の幅も増えた。
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