計画承認までの経緯とは? わかりやすく解説

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計画承認までの経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:00 UTC 版)

はやぶさ (探査機)」の記事における「計画承認までの経緯」の解説

後に「はやぶさ」に至る小惑星サンプルリターン計画検討は、日本初め惑星間空間到達することになったさきがけ」の打ち上げ成功裏行われ、「すいせい」の打ち上げ控えた1985年6月ISAS教授当時鶴田浩一郎が主催する小惑星サンプルリターン研究会」として始まった。その成果として翌1986年には1990年代想定し化学推進用いてアモール群分類される小惑星である「アンテロス」を対象とするサンプルリターン構想纏まる。しかし、要求を満たす能力を持つロケット存在しないなど、時期尚早であるとしてプロジェクト提案はなされなかった。 M-Vロケット開発受けて検討再開され1989年秋から1990年春にかけて行われた宇宙理学委員会において、M-V 2号機プロジェクトとして提案された。だが、LUNAR-A計画敗れ採用されなかった。その後ランデブーホバリングによる超接近観測目的とした工学衛星計画方向性改め再検討進められることになった1991年1月時点において、MUSES-C計画光学観測による自律航行、三軸姿勢制御ターゲットマーカー用いた自律運用X線分析装置質量分析器搭載などが検討されており、1997年5月二段キックモーター装備したM-V打ち上げられ1998年6月アンテロス到達するという計画であったその後検討進められ1995年小惑星サンプルリターン技術実験探査機として宇宙工学委員会選定1995年8月宇宙開発委員会承認し正式にプロジェクト開始された。 小惑星サンプルリターン計画並行して彗星サンプルリターン計画検討行われていた。1987年ハワイにおけるISY会議席上で、低価格彗星サンプルリターン計画SOCCER」の検討ジェット推進研究所 (JPL) とISASとの合同開始することが決定された。M-Vによる打ち上げや、マリナーMarkII計画の「CRAF」との連携視野入れたデルタロケット使用検討され1992年ディスカバリー計画ワークショップにおいて提案されるが、採用されなかった。その後1994年ISASMUSES-C計画注力することを決定SOCCER計画から外れる。その後JPLによって検討続けられたこの計画は、「スターダスト」としてディスカバリー計画採用された。

※この「計画承認までの経緯」の解説は、「はやぶさ (探査機)」の解説の一部です。
「計画承認までの経緯」を含む「はやぶさ (探査機)」の記事については、「はやぶさ (探査機)」の概要を参照ください。

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