解説・歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 14:31 UTC 版)
「英領ギアナ1セント・マゼンタ」の記事における「解説・歴史」の解説
1セント・マゼンタは知られている限り1枚しか現存していない。使用済みで、八角形に切り取られている。ダルトンの命令によって書きこまれたサインは左側にあり、武骨な消印が押されている。 1873年に12歳のスコットランド人学生であるルイス・ヴァーノン・ヴォーンが、英領ギアナの街デメララ(切手にはここの消印が押してある)にて、叔父の手紙の中からこの切手を発見した。持っていた切手カタログにこの切手のことが載っていなかったため、ヴォーンは数週間後に地元の切手蒐集家であるN・R・マッキノンにこの切手を6シリングで売った。1878年にマッキノンのコレクションはリヴァプールの切手商人であるトーマス・リドパスに120ポンドで売却された。間もなくして同年、リドパスは1セント・マゼンタを150ポンドで著名な切手蒐集家であるフィリップ・フォン・フェラリー(英語版)に売却した。 ニューヨークの資本家であるアーサー・ハインド(英語版)は、1917年に死去したフェラリーのコレクションを1922年に開催された14回にも及ぶオークションで次々と購入した。1922年4月6日のオークションで登場した1セント・マゼンタは30万フラン+税(7343ポンド)で競り落とされた。1935年10月30日に行われたハーマー・ルック商会のオークションでは、イギリスの著名な切手蒐集家であるパーシヴァル・ロイネス・ペンバートン(英語版)が7500ポンドで競り落としたが、取引が成立せず、元ハインド夫人のミセス・スケイラに返却された。1940年にミセス・スケイラはニューヨーク市にあるメイシーズ百貨店の切手売り場で個人売買を行い、フロリダから来たエンジニアであるフレッド・ポス・スモールが4万ドルで購入した。スモールはオーストラリア生まれで、少年の頃この切手のことを耳にしてからずっと所有を夢見ていたのである。この1セント・マゼンタを購入したことで、スモールは英領ギアナで発行された切手を全て入手したことになった。1970年にスモールは自分の切手コレクション全てをオークションにかけ(75万ドルの価値があると見積もられた)、1セント・マゼンタはアーウィン・ワインバーグ(英語版)率いるペンシルベニア州投資家組合に28万ドルで落札され、見世物として10年近く世界を渡り歩いた。その後1980年に、アメリカ人切手蒐集家であるジョン・デュポンによって93万5000ドルで購入され、一枚の切手としての最高額記録を再び更新した。デュポンが友人を殺害した罪で収監されるやいなや、1セント・マゼンタは銀行の金庫にしまい込まれたとされる。デュポンは2010年12月9日に、収監されたまま亡くなった。 デュポンの遺産として、1セント・マゼンタは2014年6月17日にニューヨークのサザビーズのオークションにかけられ、948万ドルで競り落とされた。靴デザイナーのスチュアート・ワイツマン(英語版)に落札されるまでに要した時間はたったの2分であり、この切手が一枚の切手の売却史上最高額を4度目に更新したことになった。ちなみに破られた直前の記録は、1855年発行の3スキリング・イエロー(スウェーデンが発行、スキリングは通貨の単位)が1996年に記録した230万ドルである。ワイツマンはその後、1セント・マゼンタを含む自身の所有する珍品の切手・コイン計3点をサザビーズに出品し、1セント・マゼンタの落札額は1000~1500万ドルが見込まれていたが、2021年6月8日にニューヨークで開催された競売では830万7000ドルにとどまり、新記録どころか前回の落札額にも届かなかった。落札したのはイギリスの老舗切手商であるスタンレー・ギボンズ(英語版)であり、同社は1セント・マゼンタの所有権を証券化して一般に販売すると発表している。
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