西南海を支配下に入れる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 04:29 UTC 版)
「キョンフォン」の記事における「西南海を支配下に入れる」の解説
赴任したキョンフォンは、自らを盗賊の手下と言った守門長を斬首した。また、街中で狼藉を働いた本営の軍官も斬首した。キョンフォンは、だらけきった兵士たちや腐敗した官吏たちに憤慨する。キョンフォンはだらけきった兵士たちの綱紀粛正を図り、厳しい軍事訓練を課して軍籍にある者全員を鍛錬した。軍事訓練に参加しなかった者たちは厳罰に処した。また、密貿易を行った者は死刑、盗賊を手助けする者は極刑に処するとし、告発者には多額の賞金を与えると張り紙を出した。これに反発した海賊のスダルはキョンフォンに抵抗する。スダルとつながりのある西南海の豪族、錦城の官吏はスダルを支持し、両者は幾度か対立した。スダルはキョンフォンを試すため、部下のコムチに密貿易の積み荷を運ぶよう命じる。これを知ったキョンフォンはチュ・ホジョ、キム・チョン、パン将軍を派遣し討伐させた。チュ・ホジョらは峡谷で待ち伏せし、コムチらを急襲して撃退した。押収した積み荷を兵士たちと、街の者たちに分け与え、兵士の忠誠と民心の掌握につとめる。スダルは偽の宴会を催して、キョンフォンの暗殺を目論むが、キョンフォンはこれを返り討ちにする。スダルは錦城に兵を率いて押し寄せるが、キョンフォンはヌンファンの策に従い、誘引策で勝利を収める。完敗したスダルは、キョンフォンに降伏する。西南海一帯に大きな勢力を持つスダルを配下に加えたことで、西南海の豪族はキョンフォンに服属した。 錦城の長官から報告を受けた武珍州の都督はシンガンを勅使として錦城に派遣する。目的はキョンフォンの官位を剥奪し押送するためだった。キョンフォンは蜂起を決意し、武珍州攻略に取りかかる。キョンフォン軍は武珍州城へ至るまでに、軍勢を増やしつつ進軍した。武珍州城に至ったとき、その軍勢は5千を越えていた。新羅側は都督が自害したが、シンガンらの必死の防戦によって、キョンフォン軍は思わぬ苦戦を強いられる。しかし、スダルらが城内に進入して均衡を破り、キョンフォン軍は勝利する。シンガンの力戦ぶりを見たキョンフォンは、シンガンを自分の家臣とした。892年、キョンフォンは武珍州を支配下とし、新羅からの独立を宣言する。
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