行政督察区制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/12 14:30 UTC 版)
「南京国民政府の行政区分」の記事における「行政督察区制度」の解説
長江下流域及び辺境地区では上記の準中間行政機構が整備された。立法院はこれら準中間行政機構の存在に法的裏づけを与えなかったが、行政事務上の必要から廃止されることなく各省で運営されたため、南京国民政府も現状を承認せざるを得なくなり、共産党との対立の中で、反共政策の実効性のためにも県に対する監督強化が求められ、南京国民政府も省県二級制度の下で新たな準中間行政機構の設置の必要性に迫られた。これを行政督察専員公署と称する。 1932年(民国21年)8月6日、汪兆銘行政院院長及び黄召竑内務部長の連名で『行政督察専員暫行条例』が公布され、行政督察専員制度が正式に発足した。その設置は省政府が省会より遠距離に位置する地方で、特殊事情を有する地区に臨時に行政督専員を設置することができるとし、その職責は法令に違反しない限りにおいて省政府に対し区域内の地方行政事務を補助するものと規定された。専員は管轄区域内の県長より1名が選出され、随時管轄区域内の視察を行うと同時に、各県の地方行政の指導、管轄区域内の県長を召集しての行政会議、官僚の褒賞・懲罰、省政府及び関係官庁への状況報告と定められた。同年10月10日、国民政府は『剿匪区内各省行政督察専員公署組織条例』を公布、蔣介石は中華民国全土に、特殊事情がない地域にも等しく設置する方針を表明、これにより全国で行政督察区の設置が行われ、戦後に行政督察区が初めて設置された察哈爾省を除き1938年(民国27年)までに各省に行政督察区の設置が完了している。 1936年(民国25年)3月25日、行政院は『行政督察専員公署組織暫行条例』を公布(10月15日修正)、各省に行政督察区を設置する法律根拠を明確にし、省政府補助機関または出先機関として規定された。これにより行政督察区は南京国民政府における常設行政機関としての地位を確立することとなった。 日中戦争が勃発すると戦時体制に転換した国民政府は1937年(民国26年)10月15日に行政督察区長が県長を兼任することを禁止、1941年(民国30年)10月には行政督察区は保安司令部と統合され、戦時行政の遂行のために地方政治の行政権限を集約するものとなり1949年(民国38年)の中華民国政府の台湾移転まで継続された。
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