新疆省
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新疆省(しんきょうしょう)は、清末から中華人民共和国初期にかけて、現在の新疆ウイグル自治区に設置された行政区画である。清代には現在の新疆ウイグル自治区のアルタイ地区を除く区域を管轄し、民国時代もそれが踏襲されたが、1919年(民国8年)6月にアルタイ地区が編入された。1933年(民国22年)にはモンゴル人民共和国軍により布爾根等が占拠されている。
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- ^ 小松 pp.305-311.
- ^ 小松 pp.314-317.
- ^ 王柯 『東トルキスタン共和国研究』 東京大学出版会 1995年,15頁
- ^ 王柯 『東トルキスタン共和国研究』 東京大学出版会 1995年,15-16頁
- ^ 王柯 ,1995年,16頁
- ^ 王 1995, pp.18.
- ^ 王 1995, pp.15-16.
- ^ 王 1995, pp. 85-86.
- ^ 小松 pp. 379-381.
- ^ 『政府公報』503号 1913年9月28日
- ^ 内務部職方司第1科『全国行政区画表』1914年
- ^ 『新疆通志』第24巻 1992年 新疆人民出版社
- ^ 王 1995, p.15.
- ^ 王 2006, pp.158-162.
- ^ 王 1995, p.61.
- ^ 2015.4.11法提合先生、耿慶芝女士演講「漫談新疆省政府辦事處」
- ^ 中華民國統計資訊網 行政區域及村里代碼 http://www.stat.gov.tw/ct.asp?xItem=39438&CtNode=1519&mp=4
新疆省
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「南京国民政府の行政区分」の記事における「新疆省」の解説
1928年(民国17年)、道制廃止後の新疆では区行政長制度が実施された。新疆省政府は管轄区域が広大であり、省政府よりかなり距離のある地域に対しては中間行政機構が不可欠であること、新疆省はソ連及びイギリス植民地に接している関係から各地に領事館が設置され、各区行政長官が外交特使の名目で各国と外交業務を実施していること、そして司法機構が未整備のため暫定的に県政府に司法権が委ねられており、司法と独立した監督機構が必要であることから中間行政区の暫時存続を国民政府に求めた。国民政府は第181次会議により新疆省の行政区長制度の保留を決定した。新疆省の特殊性から、他省で行政督察区制度が施行された後もこの行政機構は維持され、1943年(民国32年)には行政督察専員が派遣され、行政区は専区と改称されている。新疆省に設置された行政区(専区)は迪化、伊犁、塔城、阿山、焉耆、喀什、阿克蘇、和闐、哈密、莎車の10区である。
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