落合博満とは? わかりやすく解説

おちあい‐ひろみつ〔おちあひ‐〕【落合博満】


落合博満

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落合 博満(おちあい ひろみつ、1953年昭和28年〉12月9日 - )は、日本の元プロ野球選手内野手、右投右打[1])・監督野球解説者タレント著作家(書籍)、YouTuber


注釈

  1. ^ ただし、大学の野球部では先輩から殴られたことは一度もなかったという。
  2. ^ 城之内は投手としての視点から、落合の資質を見抜いていた[23]
  3. ^ このことが落合が「オレ流」と呼ばれる所以である。
  4. ^ 2022年にヤクルトの村上宗隆が22歳で三冠王を獲得し[29]、40年ぶりに最年少記録を更新した。
  5. ^ 長打は1998年クラークが、得点は2000年小笠原道大が更新
  6. ^ 外国人選手を含めたロッテ所属選手の本塁打王は、2023年にグレゴリー・ポランコ福岡ソフトバンクホークス近藤健介東北楽天ゴールデンイーグルス浅村栄斗の3人で分け合う形で落合以来37年ぶりに獲得している。
  7. ^ 2011年にアレックス・カブレラに更新されるまで最速記録だった[50]
  8. ^ 監督時代の2007年の中日は第2位からの日本一であったため。
  9. ^ 2012年4月15日のテレビ解説については、スポニチでも古巣の試合初観戦という表現を交えながら報じている(どこの放送局であるのかは明記せず)[87]
  10. ^ 野村克也との対談では「奴ら(新聞記者)は野球なんてぜんぜん知らない。無視したっていい」と発言し野村から「そんなこといわずに、記者たちに野球を教えてやるという気持ちでマスコミ対応もしっかりやれよ」とたしなめられている。[142]
  11. ^ 前者は「16は野手の番号ではない」という落合の考え、後者は入団当初に背番号8を希望した新人時代の平田良介の希望と、森野が掛布雅之に憧れていたことから。
  12. ^ 当時は1回入場料を払えば、その日はずっと映画を見ることができた。それゆえ、入り浸ることは可能だった。
  13. ^ 赤太字で表記しているが、出塁率が公式記録として採用される前には落合の記録を上回る記録も存在する(出塁率#参考記録を参照)。
  14. ^ 「不敗人生」との語句は、この年に入団した日本ハム選手別応援歌での落合向けの歌詞にも採用された。
  15. ^ 2013年[175]
  16. ^ 参考:TBSチャンネルでの放送告知ページ[179]、放送の模様をつづったネットニュース記事[180]・スポーツライターのブログ[181]
  17. ^ NHKクロニクルの番組表検索結果を参照[182]
  18. ^ 参考:『週刊ポスト』2012年11月2日号掲載記事[183]、『プロ野球&メジャーリーグ解説者名鑑』でも、2012年の中日対ヤクルトクライマックスシリーズ中継で森繁和と解説を務めたことが記されている(第何戦・どこの局であるのかは明記せず)[184]

出典

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  177. ^ 2003年当時、東海ラジオウェブサイト内に掲載されたプロ野球中継日程表(インターネットアーカイブ2003年10月6日付保存キャッシュ)より、4月18日・5月7日・6月13日・8月15日の解説欄に落合の名が明記。
  178. ^ 2002年6月11日の中京地区におけるテレビ番組予定表 - 『tv.nikkansports.com』(日刊スポーツ)より(インターネットアーカイブ同8日付保存キャッシュ) ※東海テレビの19:00 - 20:49を参照。鈴木孝政と併記。
  179. ^ 侍プロ野球 2012「中日×巨人」 - TBSチャンネル公式サイト内番組詳細情報(インターネットアーカイブ2012年5月15日付保存キャッシュ)
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  181. ^ 【読売解説遊戯】落合博満が斬る巨人軍「オレ流時々フェイク」とは? - 『プロ野球死亡遊戯』2012年4月20日付(文:nakami)
  182. ^ 番組表検索結果(キーワード…「プロ野球」「落合博満」) - NHKクロニクルより
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  187. ^ 【特報】 日本野球界伝説の「三冠王」が、異世界転生!? 仕掛け人はドアラ?? 衝撃の新連載『落合博満のオレ流転生』本日開幕!”. イブニング. 講談社 (2024年3月28日). 2024年3月28日閲覧。



落合博満

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 21:42 UTC 版)

読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧」の記事における「落合博満」の解説

端緒となったのは、1994年球団史上初のFA入団選手となった落合博満である。中日ドラゴンズからFA移籍してきた落合は、1994年から1996年までの3年間、第60代4番打者として331試合4番務めた落合在籍した3年間で2度リーグ制覇を果たした1995年には史上最年長首位打者争い繰り広げ8月31日時点打率.332、最終的にシーズン打率.311(リーグ4位)本塁打1765打点マーク。翌1996年は、8月31日野口茂樹から受けた左手首への死球により残りシーズン棒に振ったが、打率.301本塁打2186打点残し、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}満43歳になる年における成績としてはNPB史上高数値となる成績残した[要出典]。更に巨人軍史上においても、この落合博満が現在においても巨人軍史上最年長4番打者(1996年8月31日42歳8ヶ月)であり、その記録保持している。

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