芸人活動後
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卒業後はカーディーラー(トヨタ自動車の販売店)に就職し、営業職などを務めつつお笑いも続けていたが、仕事になじめず3ヵ月ほどで退職し、吉本興業に所属。アルバイトを掛け持ちしつつ、本格的にお笑い芸人としての活動を始める。 1999年、バッファロー吾郎プロデュースの「爆笑新ネタ逆転満塁ホームラン寄席」に初出演。同年10月、初のレギュラー番組となる毎日放送『クヮンガクッ』がスタート(翌3月までレギュラー)。2000年、「ABCお笑い新人グランプリ」で審査員特別賞を受賞。 2001年11月、レイザーラモンは揃って吉本新喜劇に入団。出渕はヤクザ、間抜けな男、オタクなど、多彩な役柄を演じるオールラウンドプレイヤーとして活躍。自ら「超音波攻撃」と称する雅楽のモノマネ、一人プロレスなどのギャグを披露していた。在団中の2003年に一般女性と結婚。住谷が「レイザーラモンHG」として大ブレイクしたことにより2005年末に退団、二人揃って東京進出を果たす。 その後はHGの影に隠れつつ、HGに便乗したキャラクターである「レイザーラモンRG」を名乗って露出を図る。RGとして「寄生虫」呼ばわりされ世間から嫌われながらも、多彩な持ちネタで徐々に存在感を増していく。さらに、HGのプロレス活動での負傷による長期休養もあり、2009年頃からRG単独での活動を増やす。その中で物真似ネタや、市川海老蔵の物真似から派生した「あるあるネタ」がじわじわと支持を集めていき、一発屋に終わらない独自のキャラクターを確立することに成功した。 『R-1ぐらんぷり』では、2011年、2012年で準決勝進出。2014年は初の決勝進出を果たし、準優勝となる。2017年にも決勝に進出している。
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