花輪線
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花輪線(はなわせん)は、岩手県盛岡市にある好摩駅から秋田県大館市にある大館駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。「十和田八幡平四季彩ライン」(とわだはちまんたいしきさいライン)の愛称が付けられている。
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- ^ a b 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年1月13日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年4月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道停車場名改称」『官報』1920年3月26日(国立国会図書館デジタルコレクション)
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- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年8月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許失効」『官報』1922年8月1日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年11月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道起業廃止許可」『官報』1926年4月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1930年12月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許失効」『官報』1934年6月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道省告示第207号・第208号」『官報』1934年5月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『鉄道統計資料. 昭和9年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
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- ^ a b c d e f g h i j 今尾恵介・原武史監修『日本鉄道旅行歴史地図帳』2号 東北、新潮社、2010年、pp.33-48
- ^ 出典ː『青森駅ものがたり 鉄道100年記念』の159頁より。これに「はつかり」の花輪線迂回に関する記述がある。
- ^ a b c d “花輪線でバス代行輸送”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1996年10月7日)
- ^ “鹿角市の落石 復旧作業始まる JR花輪線はあす全通予定”. 河北新報 (河北新報社). (1996年4月24日)
- ^ “運転を再開 鹿角市・JR花輪線”. 河北新報 (河北新報社). (1996年4月26日)
- ^ “来月7日から落石復旧で区間運休 JR花輪線”. 河北新報 (河北新報社). (1996年9月27日)
- ^ “十和田南-大滝温泉 あすから運転再開 JR花輪線”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1996年12月25日)
- ^ “秋田県で全域で大雨、浸水335棟 花輪線の列車脱線”. 河北新報 (河北新報社). (1997年9月3日)
- ^ a b “3か月ぶり運行再開 JR花輪線大館駅-東大館駅”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (1997年12月19日)
- ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 '00年版』ジェー・アール・アール、2000年7月1日、186頁。ISBN 4-88283-121-X。
- ^ 『花輪線「北森駅」の移設に伴う使用開始について』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道盛岡支社、2015年2月27日。 オリジナルの2019年12月12日時点におけるアーカイブ 。2021年1月17日閲覧。
- ^ 『JTB時刻表』2014年4月号p.625、2015年3月号p.627
- ^ a b 2015年3月ダイヤ改正 (PDF) - JR東日本盛岡支社、2014年12月19日
- ^ a b “JR花輪線の鹿角花輪駅と大館駅間 22日から代行バス運行へ|NHK 秋田県のニュース”. NHK (2022年8月19日). 2022年10月31日閲覧。
- ^ 花輪線 復旧の見通しについて (PDF) - JR東日本盛岡支社・秋田支社、2022年11月15日
- ^ a b 高橋秀明「花輪線の線路歩きました 14日の運転再開を前に 鹿角市2.6キロ 住民ら復旧状況確認」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2023年5月8日、18面。
- ^ a b 高橋秀明「JR花輪線 試運転開始 鹿角花輪 - 大館間 14日に全線復旧 安全確認 きょう、あすも」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2023年5月12日、24面。
- ^ “JR花輪線、全線再開 大雨被害から9カ月ぶり”. 産経新聞 (産経新聞社). (2023年5月14日) 2023年5月15日閲覧。
- ^ 高橋秀明「花輪線の維持ヘ 利用促進を確認 鹿角、沿線自治体が初会議」『秋田魁新報』秋田魁新報社、2024年2月7日、18面。
- ^ 日詰行きの列車は他に、毎年8月19・20日に開催される「花輪ばやし」終了後に運転される鹿角花輪発日詰行き上り臨時快速「花輪ばやし号」がある(下りは盛岡発鹿角花輪行き)。
- ^ 東北本線盛岡駅~日詰駅間の臨時列車運転について JR東日本盛岡支社 2019年9月11日
- ^ その名残で2016年3月まで、朝に奥羽本線大館駅 - 鷹ノ巣駅間でディーゼル車による区間普通列車が運行されていた。
- ^ 交通新聞社『JR時刻表』2015年7月号
- ^ “各駅の乗車人員”. 東日本旅客鉄道. 2023年10月9日閲覧。
- ^ “路線別ご利用状況(2014〜2018年度)” (PDF). 2019年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月7日閲覧。
花輪線
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「東日本大震災による鉄道への影響」の記事における「花輪線」の解説
花輪線は3月18日に好摩駅 - 松尾八幡平駅間が再開、同19日に全線再開。
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花輪線
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千葉駅 - 末広町中央 - JFE体育館 - 千葉メディカルセンター - 蘇我駅東入口 - 蘇我病院 - 蘇我中学校 - 白旗 - 大森町 - 赤井町 - 花輪 千葉市中央区南部の大森・赤井・花輪の各町へ向かう路線である。この地域は古くから農村集落として発展してきたところで、現在も昔のまま道幅の狭い箇所が多い。このため中型車で運行されている。 この線の原型は「大巌寺線」という昭和30年代初頭に開通した路線で、当時は全便が西千葉寺付近から南下する道路を経由し、赤井町経由平山(現・赤井交差点)発着便、赤井町・花輪経由療養所(現・千葉東病院)発着便、大巌寺までの折り返し便があった。また少なくとも1959年の時点においては、平山、療養所発着便にそれぞれ大巌寺経由、大森町経由があった。赤井・花輪地区にとっては初めてのバス路線であり、千葉市街から当時人口増加の著しかった宮崎・白旗地区へのバイパス線の役割も担った。 その後、詳細な経緯は不明だが、昭和40年代までに赤井町 - 平山、および花輪 - 療養所の区間が廃止され、さらに昭和60年頃までに千葉駅 - 千葉寺坂上 - 大巌寺 - 赤井町、千葉駅 - 千葉寺坂上 - 大森町 - 赤井町 - 花輪の2系統で運行されるようになった。前者はほとんどの区間で小湊鉄道の千葉駅 - 淑徳大学大巌寺線と重複する路線であった。 その後、2001年5月16日に末広街道を走る向台線が廃止されたことに伴い、花輪線が末広町経由に変更され、同時に赤井・花輪地区から蘇我駅(東入口)へのアクセス手段となった。一方、赤井町線は従来のルートのまま引き続き小湊鉄道の淑徳大学大巌寺線との競合が続いていたが、同社の路線に比べ本数面で不利な状況であったため、2007年12月28日の運行を最後に廃止となった。
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