総大司教庁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 07:28 UTC 版)
「コプト典礼カトリック教会」の記事における「総大司教庁」の解説
オスマン帝国のエジプト総督がコプト典礼カトリック教会のためのカトリック総大司教設置を望んでいる、という認識に基づき、教皇レオ12世はアレクサンドリア総大司教庁をアレッポ使徒座代理区から分離する形で設立した。ただしこれは名ばかりの存在だった。1829年、オスマン帝国はコプト典礼カトリック教徒が自身の教会を持つことを認めた。 エジプトでの信者拡大を受けて、1895年にレオ13世がカトリック総大司教座を再建した。彼はまず使徒座代理にキュリロス・マカリロス司教を就けた。マカリロスは教会会議を開き、いくつかのラテン典礼を導入した。1899年、レオ13世はマカリロスをコプト人のためのアレクサンドリア総大司教に任じ、キュリロス2世の称号を与えた。キュリロス2世は1908年までその地位にいた。その後、総大司教の座は長く空位状態が続き、1947年に新たな総大司教が使徒座管理者による選挙で選出された。
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