総大司教座の解体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 05:47 UTC 版)
1420年にヴェネツィアがウーディネを併合し、総大司教座はアクイレイアに帰還した。1445年、ヴェネツィアとの争いに敗れた総大司教ロドヴィコ・トレヴィザン (Lodovico Trevisan) は、ヴェネツィア政府から与えられる年額5000ダカットの俸給と引き換えに、古代から引き継がれてきた世俗の所領を没収された。以後、アクイレイア総大司教の座にはヴェネツィア人のみが就くことを許された。アクイレイア総大司教領はヴェネツィア共和国の一部に取り込まれて「パトリア・デル・フリウーリ」と呼ばれるようになり、ウーディネに駐在する General Proveditor あるいは "Luogotenente" によって統治されることになった。 1751年、総大司教座は正式に解体され、代わってウーディネとゴリツィアに司教座が置かれた。
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