紀元前1世紀から紀元1世紀とは? わかりやすく解説

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紀元前1世紀から紀元1世紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/10 02:18 UTC 版)

クァディ族」の記事における「紀元前1世紀から紀元1世紀」の解説

紀元前1世紀古代ローマ文献によると、クァディ族はもっと人数の多いマルコマンニ族のそばに移住してきた。マルコマンニ族ドナウ川沿いのローマとの国境付近に住んでいた。 クァディとマルコマンニはおそらくマイン川北側から、現在のモラヴィアスロバキア西部オーストリア北西部あたりに移住してきた。このあたりはそれ以前ケルト人ラ・テーヌ文化などが栄えていた。ローマ人が彼らの存在に気づいたのは紀元前8年から紀元前6年で、タキトゥス『ゲルマニア』概略記されている。紀元6年クァディ族を含むマルコマンニ連合が後に皇帝となったティベリウス戦っている。 もっと古い文献としては、ストラボンの『地理誌』(7.1.3) にもクァディ族と見られる記述がある。本文ではなく挿入句的扱いで、スエビ族支族として Koldouoi という民族ラテン語では Coldui。ストラボン古代ギリシア語書いていた)に言及している。その居住地域一部ボヘミアで、そこはマルボドゥウス支配地域だった。Coldui は一般に Coadui (Quadi) の間違いだとされている。 タキトゥス『ゲルマニア』では、マルコマンニについての記述の中でクァディに触れているだけである。両者好戦的な性格似ており、マルボドゥウスとTudrusの王の家系が代々王として君臨していると記している。この "Tudric" がクァディの王族と見られるタキトゥスによれば両者王権ローマの銀に支えられているという点で似ていたという。 その後350年ほどの間、クァディ族周囲には西にマルコマンニ、北に古スラブ人がいて、南にローマ帝国があった。東には少し遅れてサルマタイ族とヴァンダル族が住むようになった。

※この「紀元前1世紀から紀元1世紀」の解説は、「クァディ族」の解説の一部です。
「紀元前1世紀から紀元1世紀」を含む「クァディ族」の記事については、「クァディ族」の概要を参照ください。

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