糾弾による死傷者
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1910年6月22日、京都府宇治郡山科村(現・京都市山科区)で、公文書における「特種部落」の語の使用に激怒した地元部落民が村民大会にて満場一致で村長の殺害を決め、当時26歳の部落青年が村長を撲殺し、1910年10月20日に無期懲役となった。 1924年12月31日、群馬県新田郡世良田村三ツ木(現・伊勢崎市境三ツ木)の一般民が「チョウリンボウ」(被差別部落民の賤称)の語を使用。このため、1925年1月2日から翌日にかけ、約23時間にわたって水平社の活動家ら数十名から監禁され、取り囲まれ、殴る蹴るの暴行を受け、全治14日の傷を負った。 「世良田村事件」も参照 1970年12月4日、大阪府東大阪市で63歳で病気の身である女性が部落解放同盟大阪府連の行動隊に「コラ、赤犬」と罵詈雑言を浴びせられ、小突かれ、靴で足を蹴られるなどの暴力を受け、病院への通院を妨害されて死亡した。ただしこの女性もまた部落解放同盟大阪府連の蛇草支部員であり、部落解放同盟大阪府連の行動隊が部落解放同盟内部の日本共産党支持者排除過程でこのような事件が起きたものである。 1974年10月26日には、部落解放同盟兵庫県連の約60名が兵庫県朝来郡和田山町(現・朝来市)の町議会議員佐藤昌之(日本共産党)の自宅を襲撃。この結果、町議の支援者の男性(47歳)が肋骨骨折3ヶ所、脊髄損傷、大腿骨にヒビが入る重傷を負い、網膜剥離で全盲となった。 1974年11月22日、兵庫県養父郡八鹿町(現・養父市)で部落解放同盟兵庫県連の集団が兵庫県立八鹿高等学校の教職員約60名を約13時間にわたり監禁暴行し、瀕死の重傷を負わせ、入院109日間の加療などを余儀なくさせた。 「元津事件」および「八鹿高校事件」も参照
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