笹沖
笹沖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/16 07:39 UTC 版)
倉敷市中心市街地から南方に離れた地域で、元は農業地帯であった。 足高山と呼ばれる海抜63メートルほどの独立丘陵があり、この丘と、葦高エリア南部にあたり旧児島の浦田との間は、近世前期まで吉備の穴海という海域で、藤戸海峡が東西に通じていた。 足高山北側は、元和5年に干拓されて新田を開発し、同山南側は寛永6年に開発された。足高山は当時小竹島(ささじま)という島嶼であったため、その沖合を干拓したちであることに由来し笹沖新田と名付けられた。 同山(島)には山上の足高神社に奉仕する神宮寺一山があり、笹沖周辺が開田するまで、当山は窪屋郡白楽市村の飛び地になっていた。 寛文12年、笹沖新田は鴨方藩の立藩とともに同藩主池田氏の所領となり、笹沖村(1340石3斗5升)。 明治になると、同22年6月1日に窪屋郡白楽村他3村と合併、葦高村を新設する。同34年4月1日、葦高・大市両村が合併し、大高村を新設。昭和になると、旧倉敷市を経て、新倉敷市となり、現在に至っている。 足高山の東に太田山という小丘があり、狸の巣穴が多いという逸話が残る。 また、笹沖では江戸時代から続く伝統工芸品である張子虎(倉敷張子)が特産となっている。 現在、足高山すぐ北側を東西に国道2号線バイパスが貫通しており、そのため笹沖を北部と中南部に分断されたような形となり、山社は大高、後者は当葦高の地域に分かれている。
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