第2梯団
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輸送船:輸送艦第6号、同9号、同10号 護衛艦艇:竹 竹駆逐艦長の宇那木勁少佐(新南群島で飯村少佐と艦長交替)の指揮下で、船団4隻(護衛艦竹・第一号型輸送艦3隻〈6号・9号・10号〉)という編成で、11月24日にマニラを出港した。25日未明よりマリンドーケ島バナラカン湾へ待避していたが、アメリカ軍機動部隊艦載機の空襲により輸送艦6号と10号が沈没する。9号は損傷により揚陸装置が故障、竹も損傷した。第2梯団は竹駆逐艦長の決断により、マニラに引き返した。『戦史叢書』では大河内長官の命令で帰投したとの記述があるが、竹の宇那木艦長は「輸送戦隊司令官より作戦続行命令が出たが独断でマニラに帰投した」と証言している。26日にマニラに到着すると、第一輸送戦隊司令官曽爾章少将が宇那木を出迎え「南西方面艦隊参謀長有馬馨少将が強硬だった。無事にもどってきてくれてよかった」と語ったという。第5次多号作戦は失敗した。
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第2梯団
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輸送船:陸軍SS艇2隻 11月30日、SS艇(10号・14号)でマニラを出港する。マステバ島沖合でアメリカ軍駆逐艦4隻に発見され、撃沈された。
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