第二次世界大戦開戦前後(1932年〜1940年)
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「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ」の記事における「第二次世界大戦開戦前後(1932年〜1940年)」の解説
1932年、エリザベスはプロ・アルテ弦楽四重奏団をカリフォルニアのミルズ大学(英語版)に推薦し、彼らは夏期に2ヶ月にわたるマスタークラス(英語版)を開き、学生への公開レッスンやコンサートなどを行った。また、1938年にはウィスコンシン大学マディソン校の音楽学部長のカール・ブリッケンにプロ・アルテ弦楽四重奏団を引き合わせた。その後、第二次世界大戦が始まり1940年にプロ・アルテ弦楽四重奏団の母国ベルギーがドイツに占領されるとメンバーはアメリカに移住し、彼らはウィスコンシン大学の専属の四重奏団(カルテット・イン・レジデンス)の地位を得た。 1930年代には多くの音楽家がアメリカに移住し、エリザベスはこうした音楽家の支援も行った。1940年に亡命した作曲家ミヨーのミルズ大学への就職も彼女が仲介し、大学がミヨーに支払う給料の大部分を負担している。 一方、イタリアのマリピエロらとは1920年代から交流が続いていたが、1935年にイタリアがエチオピアに侵攻するとエリザベスは自分の寄付金が侵略に使われる可能性を心配し、1940年には援助を完全に打ち切ってイタリアの作曲家との交流は一時中断することとなった。また、1930年代後半にはヨーロッパでの音楽祭も中止となり、アメリカ本土以外ではメキシコシティ、ホノルルなどで開催された程度である。
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