エリザベス・スプレーグ・クーリッジ
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エリザベス・スプレーグ・クーリッジ(英語: Elizabeth Sprague Coolidge, 1864年10月30日 - 1953年11月4日)は、20世紀のアメリカ合衆国におけるクラシック音楽のパトロンである。アマチュアのピアニストであり自ら作曲も行った。食品会社の経営者であった父から相続した遺産をもとに、50歳のときからパトロンとしての活動を始め、89歳で亡くなるまでの後半生を室内楽を中心とした音楽の振興に捧げた。「クーリッジ夫人」とも呼ばれる。
注釈
- ^ エリザベスは油絵の肖像画を望んだが、サージェントの健康上の理由により木炭により描かれた[1]。なお、サージェントは2年後の1925年に亡くなっている[2]。アメリカ議会図書館の所蔵[1]。
- ^ 父アルバートはイェール大学を卒業に弁護士となったが、健康上の理由からこれを辞め、1862年にスプレーグ&ステットソン社を設立した[3]。この会社は、1864年に共同経営者が変わったことに伴いスプレーグ&ワーナー社となった[4]。
- ^ 1873年に三女スージーが、翌1874年に次女キャリーが病死した[4]。
- ^ レジーナ・ワトソンはポーランドのピアニストカール・タウジヒの弟子[5]。
- ^ この演奏会は1893年7月1日に行われた[8]。
- ^ 「アップウェイフィールズ」は、エリザベスの先祖の出身地であるイギリスの村の名前でもある[4]。
- ^ 整形外科医であった夫フレデリックは手術中の感染が原因で死亡した[14]。
- ^ 21世紀初頭のアメリカドルに換算すると10倍以上になる[15]。
- ^ 父が経営するスプレーグ&ワーナー社は、鉄道の貨物施設と地下でつながる7階建ての社屋を有しており[16]、年間売り上げは当時の1400万ドルを超えていた[9]。
- ^ 父アーノルド・スプレーグがもっていた資産は少なくないとはいえ、同時代のアンドリュー・カーネギーなどの大富豪に比べれば、その足元には及ばない[17]。
- ^ シカゴ交響楽団はエリザベスに感謝の意を表すため、彼女が作曲した弦楽四重奏曲の「ラルゴ・ラメントーソ」、「スケルツォ」を指揮者のフレデリック・ストックが弦楽合奏に編曲して演奏した[19][20][21]。
- ^ コルチャックは元シカゴ交響楽団のヴァイオリニストであった[18]。
- ^ ピアノが必要な曲ではエリザベスがピアニストとして加わることが条件になっていた[18]。
- ^ エリザベスは両親の死後ニューヨークで暮らしており[27]、バークシャー弦楽四重奏団は冬の間はニューヨークで活動した[27]。
- ^ 音楽祭開催の背景には、フレデリック・ストックの勧めがあった[28]。
- ^ エリザベスはイェール大学とアメリカ芸術文学アカデミーにこのことを持ちかけたが断られた[30]。
- ^ ブロッホは『ヴィオラとピアノのための組曲』で第2回バークシャー賞を受賞している[23]。
- ^ ブロッホがエリザベスに、バークシャー音楽祭にエンゲルを招くよう勧めた[33]。
- ^ エリザベスは17歳のときに両親とともに11か月に及ぶグランドツアーで、ブリュッセル、パリ、バイロイト、ベルリン、フィレンツェ、ウィーンなどヨーロッパ各地を訪れている[4]。ローマでの音楽祭の前年の1922年には、新婚時代以来29年ぶりにヨーロッパを訪問した[35]。この時ロンドンでは長く親交を結ぶこととなるフランク・ブリッジと初めて出会っている[36]。
- ^ エリザベスは1923年5月にローマで行われたコンサート[35]、同年8月にザルツブルクで開催された国際現代音楽協会(ISCM)の音楽祭でプロ・アルテ弦楽四重奏団の演奏を聴いてる[37]。
- ^ コベットはアマチュアヴァイオリニストであった[39]。彼は1905年にコンクールと作品委嘱を交互に行う事業を開始しており、エリザベスもその影響を受けたことも考えられる[39]。
- ^ 1932年の第1回はクーリッジ・メダルはコベットに贈られ、その後この制度が終わる1948年までに25人に与えられた[40][38]。その中には、カゼッラ(1934年)、マリピエロ(1937年)、ブリッジ(1938年)、ミヨー(1940年)、ブリテン(1941年)といった作曲家のほか、ブダペスト弦楽四重奏団のアレクサンダー・シュナイダー(1945年)とヨーゼフ・ロイスマン(1948年)などの演奏家、エンゲル(1935年)のような実務家が含まれている[40]。
- ^ 彼は1920年に『弦楽四重奏曲第1番「リスペットとストランボット」』で第3回バークシャー賞を受賞しているが[43]、実際に対面したのは1923年が初めてであった[43]。
- ^ これが議会図書館の「エリザベス・スプレーグ・クーリッジ財団コレクション」のはじまりである[44][45]。
- ^ この演奏会はエリザベスのコレクションが議会図書館に寄贈されたことを記念して行われた[47]。
- ^ 最終的にクーリッジ・オーディトリアムの建設費用は9万ドルにまで膨れ上がった[49]。
- ^ 2018年の貨幣価値に換算すると550万ドル以上に相当する[53][15]。
- ^ クーリッジ財団は事業により年間2万8000ドルの収入が見込まれた[54]。
- ^ 1936年には、議会図書館にストラディバリウスを寄贈したガートルード・クラーク・ホイットールの財団(1936年)などが作られている [56]。
- ^ この頃、エリザベスもワシントンD.C.に引っ越した[43]。
- ^ 『ミューズを率いるアポロ』は、翌1929年にジョージ・バランシンの振付により、ディアギレフの率いるバレエ・リュスの演目としてヨーロッパ初演が行われている[61]。
- ^ プロ・アルテ弦楽四重奏団はこの年に初のアメリカツアーを行い、音楽祭に先立ち10月初旬にクーリッジ・オーディトリアムの落成記念式典でアメリカデビューを果たしている[62]。
- ^ エリザベスはマリピエロを通じてプリュニエールと知り合い[66]、彼が企画する演奏会や雑誌『ルヴュ・ミュジカル』の刊行を援助していた[66]。
- ^ プロ・アルテ弦楽四重奏団とウィスコンシン大学マディソン校との関係は、四重奏団のメンバーが交替してもなお継続している[72][71]。
- ^ 当時アメリカに移住した作曲家には、シェーンベルク(1933年に移住)、トッホ(1934年)、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1935年)、バルトーク(1940年)、ヒンデミット(1940年)、ミヨー(1940年)がいる[73]。
- ^ 当初はチャベスではなくブラジルの作曲家ヴィラ=ロボスに依頼するつもりであったが、戦争中であり連絡が困難であるため断念した[76]。
- ^ 1937年に音楽部長に就任したスピヴァッケはエリザベスの良きパートナーであった[79]。『アパラチアの春』を含むダンス公演は、彼が複数の芸術家との交渉などの実務を担当したことで実現できた[79][78]。
- ^ チャベスのバレエ音楽 "Dark Meadow" は結局間に合わず、1946年、マーサ・グレアム・ダンス・カンパニーによって上演された[80]。
- ^ 後のオーケストラ版ではなく、13人の演奏者による原典版である。なお、8重奏以下の編成を要望していたクーリッジ財団としてはこれでも大きすぎる編成であった[86]。
- ^ ブダペスト弦楽四重奏団は1939年にロシアからアメリカに移住し[72]、1940年から1963年まで議会図書館の専属(カルテット・イン・レジデンス)となっていた[92]。
- ^ 締切には厳しく[20]、ラヴェルの『マダガスカル島民の歌』の完成が約束の期日に間に合わなかったことに対しては大きな失望を表明している[74]。
- ^ エンゲルはエリザベスのことを「フェアリー・クイーン」(妖精の女王)と呼んだ[38]。
- ^ 1928年、イギリスの『デイリー・ミラー』紙は、ストラヴィンスキーの『ミューズを率いるアポロ』を「クーリッジ大統領の夫人が委嘱した作品」と記事で紹介した[98]。
- ^ こうしたパトロンが室内楽を好んだのは、規模の大きなオーケストラと違い経費がかからないことが理由の一つに挙げられる[69]。
- ^ 例えば、1934年から35年にかけては19の番組を提供した[17]。
- ^ レジオン・ド・ヌール勲章受賞者としてエリザベスを推薦したのはポール・クローデルであった[112]。
- ^ リストでは作曲年不詳となっている。
- ^ バルトークへの弦楽四重奏曲の委嘱をエリザベスに勧めたのはプロ・アルテ弦楽四重奏団である[116] [118]。同四重奏団は1929年にバルトークの『弦楽四重奏曲第4番』を初演している[119]。
- ^ マリピエロがエリザベスの死後に作曲した『弦楽四重奏曲第8番』は「エリザベッタのために」という副題を持っている[35]。
- ^ カゼッラのパルティータは第1回クーリッジ音楽祭のために書かれたが、編成が大きくコストがかかるためにプログラムから外された[120]。
- ^ ブリッジの最後の室内楽曲である『木管五重奏のためのディベルティメント』は誕生日プレゼントとしてエリザベスに贈られた[121]。同じとき、エリザベスはブリッジに「クーリッジ・メダル」を贈っている[121]。
出典
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- 1 エリザベス・スプレーグ・クーリッジとは
- 2 エリザベス・スプレーグ・クーリッジの概要
- 3 委嘱した作品など
- 4 脚注
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