第一次世界大戦とグルジア独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 18:49 UTC 版)
「ロシア帝国下のグルジア」の記事における「第一次世界大戦とグルジア独立」の解説
1914年8月、ロシアはドイツに宣戦布告して第一次世界大戦に参戦した。グルジア人は戦争があまり得にならないと見て、興味が薄かったが、20万人が陸軍に動員された。11月にオスマン帝国がドイツ側で参戦すると、グルジアは前線と化した。グルジアの政治家の多くは中立を維持したが、グルジア人の間では親独感情や「独立がすぐそこまで近づいた」という考えが現れ始めた。 1917年、ロシアの敗北が続いたことでサンクトペテルブルク改めペトログラードで2月革命がおこった。新しく成立したロシア臨時政府はザカフカース特別委員会(英語版)(露: ОЗАКОМ)を設立して南カフカースを統治した。グルジアではトビリシに駐留したロシア軍がボリシェヴィキを支持したため緊張が続いたが、やがてロシア軍のほぼ全軍が北へ撤退し始めたため、グルジアはメンシェヴィキの手に落ちた。十月革命がおこり、ペトログラードでボリシェヴィキが権力の座についたが、メンシェヴィキはこれを否定した。ロシア軍がいなかったため南カフカースは自衛せざるをえなくなり、1918年2月にオスマン軍が国境を越えたことでロシアから分離すべきかという問題が浮上した。 1918年4月22日に南カフカースの国会は投票を行って独立を決定し、ザカフカース民主連邦共和国の建国を宣言した。この共和国はグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンというそれぞれ異なる歴史、文化と憧憬を持つ国によって構成された。アルメニア人はトルコにおけるアルメニア人虐殺について知っていたため、侵入したオスマン軍を撃退することを当面の急務と考えた。一方、イスラム教徒が多いアゼルバイジャンではオスマン帝国を支持する声が多く、グルジアではトルコよりドイツと交渉したほうが利益を確保できそうと考えた。1918年5月26日にグルジアは独立を宣言し、グルジア民主共和国を建国して1921年にボリシェヴィキによって侵攻されるまでの短期間に自由を謳歌した。
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