第一回モスクワ裁判とは? わかりやすく解説

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第一回モスクワ裁判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 23:02 UTC 版)

モスクワ裁判」の記事における「第一回モスクワ裁判」の解説

詳細は「第1回モスクワ裁判ロシア語版)」を参照 第一回裁判1936年8月19日合同本部陰謀事件を裁く法廷としてモスクワ労働組合会館ロシア語版)の「十月革命の間」で行われた被告人は、ジノヴィエフカーメネフスミルノフ、セルゲイ・ムラチュコフスキー(ロシア語版)(ロシア内戦英雄)、グリゴリー・エフドキモフ(ロシア語版)、ヴァガルシャク・テル=ヴァガニャン(英語版)(アルメニア共産党英語版書記長)、イワン・バカエフ(英語版)、イェフィム・ドライツァー(ロシア語版)、アイザック・ラインホルト(ロシア語版)、リチャード・ピッケル(ロシア語版)、エドワード・ホルツマン(ロシア語版)ら16名。傍聴人として150人の「市民」と30人余り外国人ジャーナリスト招かれたため、「公開裁判」とされている。ただしその「市民」なる者たちはすべて大粛清執行機関NKVDメンバー市民偽装したものであり、彼らは裁判が「シナリオ通りに進むように監視し、少しでも被告不都合なことを喋ると大声野次を飛ばすのが役割であった野次裁判長裁判休廷する口実となりえた)。 被告人2つグループ分けられた。ひとつはジノヴィエフカーメネフ革命時代にはボルシェヴィキ最高幹部としてレーニン補佐した大物や、トロツキー率いた左翼反対派構成メンバーたちを含む前述11名。もう一方拷問の末に「裁判自白すれば命は助ける」といわれてジノヴィエフカーメネフらとナチス・ドイツ・ゲシュタポの関係を「証言」させるために集められ無名小物たち5名だった。 この裁判様子について外国人ジャーナリストたちは、歴戦革命家のはずの大物被告たち恐怖震えくぐもった声涙声語っていたとし、一方逆に命の保証受けていた小物被告たちは「まるで自分誕生日のように」嬉々とした声でナチスの「陰謀」の証言をしていたとレポートしている。結局被告人全員が罪を「自白」することとなった8月24日裁判長ウルリヒは「トロツキー連携してセルゲイ・キーロフ暗殺実行しスターリンらをも暗殺しようとした」として被告16全員に対して銃殺刑宣告。命は助けと言われていたはずの小物被告たち裏切られた形となった一人を除く全員提出した助命嘆願却下されたのち(起訴状中に入っていたヨシフ・ウンシュリフトによる「いかなる助命嘆願拒否すること」という命令書が残されており、ウルリヒにより日付記入がされている)、判決その日深夜2時には収監先のルビャンカ執行されウルリヒヴィシンスキーらが銃殺立会った(ジノヴィエフのみ、独房抵抗したためその場射殺されたという)。さらに9月1日には同じ事件逮捕されていたレニングラード共産党支部関係者5000人も全員銃殺刑処したスターリンの下で行われた最初大規模な党員虐殺事件だった。また裁判中23日検事ヴィシンスキーは、「反ソビエト陰謀」の件でトムスキー、ルイコフブハーリンらを「捜査」中であることを明かした(トムスキーは逮捕避けられない見て前日8月22日自殺していた)。これは次なる公開裁判」と大粛清への予告であった

※この「第一回モスクワ裁判」の解説は、「モスクワ裁判」の解説の一部です。
「第一回モスクワ裁判」を含む「モスクワ裁判」の記事については、「モスクワ裁判」の概要を参照ください。

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