竹崎順子とは? わかりやすく解説

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たけざきじゅんこ 【竹崎順子】

明治期教育者熊本藩郷士矢島直明の娘で、徳富久子蘇峰の母)・横井つせ子(小の妻)・矢島楫子キリスト教婦人矯風会会頭)らの姉。竹崎堂の妻。海老名弾正につき入信熊本女学会(のちの女学校運営尽力。(一八二五~一九〇五)

竹崎順子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/15 06:56 UTC 版)

竹崎順子。徳富蘆花の伯母

竹崎 順子(たけざき じゅんこ、1825年12月4日文政8年10月25日) - 1905年明治38年)3月7日)は、日本の教育家である。竹崎八十雄の祖母である。

略歴

夫の竹崎茶堂(1812-1877)。漢学者。横井小楠の門下

肥後国上益城郡津森村(現熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋・矢嶋直明の3女として生まれる。妹に徳富一敬の妻で徳富蘇峰徳冨蘆花の母親である徳富久子横井小楠の妻横井つせ子、矢嶋楫子がいる。この姉妹4人は「肥後の猛婦」「四賢婦人」と呼ばれた。

1840年(天保11年)に玉名郡伊倉の竹崎家の養子竹崎茶堂(1812-1877、旧名・木下律次郎[1][2])と結婚する。夫は酒造業を起こすが、米相場に関わり失敗し、1843年(天保14年)に阿蘇郡西村布田で開墾生活を始め、その傍らで竹崎塾を開いて手習いを教えた。1860年(万延元年)に夫の兄木下初太郎が開いた干拓地の経営のために玉名郡横島村(現玉名市横島町)に移住する。

1870年(明治3年)に藩政改革で夫が民政局大属になったので熊本に移住する。夫が日新堂という塾を経営し、順子も15、6名の女生徒を教えた。1877年(明治10年)5月に夫が死去した。1887年(明治20年)10月、海老名弾正の来熊を機にキリスト教の洗礼を受ける。1889年(明治22年)に64歳で熊本女学校の初代舎監になった。1890年(明治23年)に校長の海老名が熊本を去り、後任校長に若い蔵原惟郭が就任すると順子の退職が決まったが、順子を慕う生徒の退学が続いたため再採用となった[3]。1892年(明治24年)に熊本英学校事件が起こり、蔵原は学校を去った。順子は1897年(明治30年)に女学校の校長に就任し、亡くなるまで8年間校長として、学校の運営を基盤を築いた。

親族

竹崎茶堂との間に二女をもうけたが、長女は早世、次女・節子に養子を迎えた[3]

夫の兄・木下初太郎(1804-1886)は玉名郡南関の惣庄屋で伊倉同田貫の流れをくみ、鉄砲製作も手掛けた[4]。その娘婿に政治家の木下助之[5]。助之の兄に木下犀潭、甥に木下広次、姪に井上毅の妻・鶴、初太郎の曾孫に木下順二木下道雄などがいる。

参考文献

  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
  • 高橋昌郎『明治のキリスト教』吉川弘文館、2003年
  • 徳富蘆花(健次郎)『竹崎順子』福永書店、1923年、全集版 蘆花全集刊行会、1929年
  • 神崎清「竹崎順子(古き愛の教育者)」(『近世名婦傳』朝日新聞社、1940年 p.1-20)
  • 上村希美雄「野の母の記録―竹崎順子」(紀田順一郎編『明治の群像9 明治のおんな』三一書房、1969年 p.47-78)
  • 上村希美雄「みそ汁ヤソの灯―竹崎順子」(『民権と国権のはざま 明治草莽思想史覚書』葦書房、1976年 p.140-181)(上記の再刊)

脚注

  1. ^ 竹崎茶堂デジタル版 日本人名大辞典+Plus
  2. ^ 『古荘四郎彦の素顔』野口昂、酣灯社、1955、p32
  3. ^ a b 『御母堂物語: 歴史を創った偉人の母17人』田井友季子、光言社, 1998、p81
  4. ^ 企画展 「同田貫」玉名市、2005年1月1日
  5. ^ 近代山鹿の偉人たち014 熊本県蚕糸業の開祖 長野濬平山鹿市教育委員会、平成22年3月


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