竹崎町移転後とは? わかりやすく解説

竹崎町移転後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 16:34 UTC 版)

馬関電灯」の記事における「竹崎町移転後」の解説

1909年明治42年になって発電所移設の上増設することとなり、給水給炭都合から下関市竹崎町用地として新発電所の建設始められた。翌1910年明治43年5月、まず増設分にあたる300キロワット発電機1台が運転を開始次いで同年11月旧発電所より移設200キロワット発電機1台が運転を開始した以後発電所竹崎発電所称する。この時点での発電所設備以下の通りボイラー : バブコックス式ボイラー2台 原動機300馬力パーソンズ蒸気タービン1台(英国パーソンズ製) 450馬力カーチス蒸気タービン1台(米国ゼネラル・エレクトリック製) 発電機200キロワット単相交流発電機1台(英国パーソンズ製、電圧2,200ボルト周波数60ヘルツ300キロワット三相交流発電機1台(米国ゼネラル・エレクトリック製、電圧2,300ボルト周波数60ヘルツ発電所出力500キロワット 1913年大正2年7月、さらに500キロワット発電機1台が増設された。この増設発電機3台のうち200キロワット発電機予備設備とされている。九州電灯鉄道合併翌年1917年大正6年5月には1,250キロワット増設工事竣工し発電所出力は2,050キロワットとなった2度目増設後の設備以下の通りボイラー : バブコック式ボイラー5台 原動機450馬力カーチス蒸気タービン1台(米国ゼネラル・エレクトリック製) 680馬力カーチス蒸気タービン1台(同上) 1,815馬力カーチス蒸気タービン1台(英国ブリティッシュ・トムソン・ハウストン製) 発電機300キロボルトアンペア三相交流発電機1台(米国ゼネラル・エレクトリック製、周波数60ヘルツ500キロボルトアンペア三相交流発電機1台(同上) 1,250キロボルトアンペア三相交流発電機1台(英国ブリティッシュ・トムソン・ハウストン製、周波数60ヘルツ変圧器 : 計5台・総容490キロボルトアンペア(日立製作所製または芝浦製作所製) 発電所出力 : 2,050キロワット この竹崎発電所九州電灯鉄道時代以降下関発電所称する)は九州電灯鉄道東邦電力経て1933年山口県営となるが、同年11月廃止されており現存しない。

※この「竹崎町移転後」の解説は、「馬関電灯」の解説の一部です。
「竹崎町移転後」を含む「馬関電灯」の記事については、「馬関電灯」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「竹崎町移転後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「竹崎町移転後」の関連用語

竹崎町移転後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



竹崎町移転後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの馬関電灯 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS