硬貨の種類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:00 UTC 版)
貨幣法(大同元年6月11日教令第25号)の下、満洲中央銀行は硬貨の製造・発行も認められており、1933年(大同2年)5月20日に、それまで流通していた硬貨に替わる新たな硬貨が発行され、旧硬貨は暫時回収された。 鋳貨の種類、額面は貨幣法第4條で、素材、品位及び量目に関しては同第6條で定められていたが、1939年(康徳6年)10月12日の「貨幣法中改正ノ件」(康徳6年10月12日勅令第265号)により貨幣法第4條から鋳貨の種類が削除され、同第6條で規定されていた鋳貨の量目、素材及び品位に関しては「勅令ヲ以テ之ヲ定ム」と修正され、新たに「鋳貨ノ素材、品位及量目ニ關スル件」(康徳6年10月12日勅令第266号)で定められる事となった。これにより、新様式の硬貨を発行する毎に勅令の改正が行われたが、貨幣法は改正されなかった。 発行当初、壹角、五分の白銅貨(銅とニッケルの合金)2種が定められ、1933年(大同2年)5月20日に発行された。続いて壹分、五釐の青銅貨(銅と錫の合金)2種が定められ、1933年(大同2年)8月1日に発行された。1939年(康徳6年)10月12日の貨幣法改正と「鋳貨ノ素材、品位及量目ニ關スル件」の制定によりアルミニウム貨が追加され、同日の『政府公報』で新様式の壹角、五分の白銅貨2種と壹分アルミニウム貨、五釐黄銅貨(銅と亜鉛の合金)が公告されたが、このうち五分白銅貨と五釐黄銅貨は発行されなかった。翌1940年(康徳7年)8月1日に「鋳貨ノ素材、品位及量目ニ關スル件」が改正され、同日の『政府公報』で壹角、五分、五釐アルミニウム貨が公告されたが、このうち五釐アルミニウム貨は発行されなかった。なお、これらの硬貨裏面の国名表記は「大満洲國」となっている。 その後、大東亜戦争(太平洋戦争)が激化して日本では航空機製造に欠かせないアルミニウムが不足するようになり、満洲国もアルミニウムの確保に協力するため、1944年(康徳11年)1月にそれまでよりも小型・軽量化した新様式の壹角、五分、壹分アルミニウム貨を発行して、旧硬貨の回収を実施した。その後、アルミニウムに替わる素材を検討する事となり、大石橋産のマグネサイトが採用され、1945年(康徳12年)2月15日に五分、壹分マグネ貨が発行されたが、マグネサイトは本来貨幣の素材として適したものではない。なお、1944年(康徳11年)1月以降に発行された新硬貨裏面の国名表記は「満洲帝國」に変更されている。 1944年(康徳11年)5月にセラミック製陶貨が試作されたが、量産が難しい等の理由で断念している。この試作品の実物は吉林省檔案館(公文書館)の満洲中央銀行関連資料に収蔵されている。
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