石清水八幡宮護国寺略記とは? わかりやすく解説

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石清水八幡宮護国寺略記

主名称: 石清水八幡宮護国寺略記
指定番号 2516
枝番 00
指定年月日 2000.06.27(平成12.06.27)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書 寛喜四年法印宗清奥書
員数 1巻
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  『石清水八幡宮護国寺略記』は、石清水八幡宮寺の開山行教ぎょうきょう】の述作である。石清水祀官家系図紀氏系図などによれば行教紀氏出自で、紀の子であり、大安寺の僧である。「石清水」の山号大安寺塔中縁起に房号から起こった伝えている。
 本略記は、三善為康一〇四九一一三九年)の『朝野群載』巻第十六、仏事上と、『群書類従』巻第十四、神祇十四収められており、一般に知られ縁起であるが、原本現存しない。
 内容は、行教貞観元年(八五九)四月十五日より豊前国宇佐宮に参籠し、七月十五日夜半に八幡大菩薩神託を受け、神託に従って宇佐八幡三所神霊八月二十三日石清水男山の峰に移座したこと、このとき清和天皇皇后等は男山の峰から紫雲が立ち昇って王城を覆うという瑞夢をみたこと、行教奏聞によって、九月十五勅使下して実検点定のうえ、木工寮橘良基をもって六宇の宝殿造立し、三所御体安置したこと、そして宇佐本宮の例に准じて祭祀祈祷勤仕することになったこと等、石清水八幡宮創立の経緯詳細に述べている。
 体裁巻子装で、地金切箔散の表紙に「石清水遷坐縁起」と外題墨書する。料紙茶染紙を打紙うちがみ加工し雲母引、銀界を施している。本文首題「石清水八幡宮護國寺略記」以下を完存する巻末奥書は、本文料紙とは異なり楮紙書かれている。この奥書は、花押書風などから法印別当宗清そうせい】(一一九〇-一二三七年)の寛喜四年(一二三二)の自筆認められる奥書によれば本書重代相伝の本で、家宝であること、世尊寺行能せそんじゆきよし】(一一七九-一二五五年)が書写したことが知られる追筆で、弘長元年一二六一)に本書後深草上皇叡覧供したことを記している。
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書跡・典籍:  石山寺一切経  石山寺校倉聖教  石帆惟衍墨蹟  石清水八幡宮護国寺略記  石溪心月墨蹟  石溪心月墨蹟  破邪弁正記



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