いしがんとう 【石敢当】
せきかんとう 【石敢当】
石敢當
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 14:21 UTC 版)
石敢當(いしがんとう[1]、いしがんどう、せきかんとう[2]、せっかんとう)は、丁字路の突き当り等に設けられる「石敢當」などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標。石敢当[2]、泰山石敢當[3]、石散當[2]等と書かれたものもある。中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県に多く分布する。
注釈
- ^ 道路のカーブに設置されている地域もある。
出典
- ^ “石敢当 (いしがんとう)”. 最新版 沖縄コンパクト事典. 琉球新報社 (2003年3月). 2020年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月15日閲覧。
- ^ a b c “石敢当(いしがんとう)の意味や使い方”. Weblio辞書. 2020年2月15日閲覧。
- ^ a b 仲原弘哲「今帰仁村の「イシガントー」」『今帰仁村文化財調査報告書』第4集、今帰仁村教育委員会、1981年3月、3-26頁。
- ^ 蒋明超「中国北方と南方における石敢當の比較研究 : 山東省と福建省を例に (2017年度奨励研究 成果論文)」『非文字資料研究』第18号、神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター、2019年9月30日、199-221頁、ISSN 2432-5481、NAID 120006826204。
- ^ 山里純一「石敢當覚書」『日本東洋文化論集』第9号、琉球大学法文学部、2003年3月、37 -68頁。
- ^ a b c 高橋誠一「石敢當と文化交渉 : 奄美諸島を中心として (沿海アジアからのアプローチ)」『東アジア文化交渉研究』第1巻、関西大学文化交渉学教育研究拠点、2008年3月31日、159-177頁、ISSN 1882-7748、NAID 110006944088。
- ^ 下野敏見『南九州の伝統文化 2: 民具と民俗、研究』
- ^ 馬場俊介. “鹿児島県” (PDF). 近世以前の土木・産業遺産. 2020年2月15日閲覧。
- ^ 近世以前の土木・産業遺産 宮崎県 (PDF)
- ^ “足利で江戸期の「石敢当」見つかる 魔よけとして建立、関東では希少”. 下野新聞SOON. (2010年5月21日). オリジナルの2010年9月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ “川崎駅前石敢當/石敢当”. www.manabook.jp. 2018年8月25日閲覧。
- ^ 小玉正任『石敢当』琉球新報社、1999年
石敢當
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「安全+第一 大知マン」の記事における「石敢當」の解説
沖縄の建物にある魔除けの石碑。この中に仕込まれたセンサーで土地の霊を監視しており、霊の反応を感知するとガイストマップに信号が送られてくる。
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石敢當
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「千方神社 (加須市中央)」の記事における「石敢當」の解説
石敢當(せきかんとう)は文化年間に市場の神様として加須の五・十市の世話人らにより信仰されていたと伝承されている。石敢當の信仰は九州地方では多く見受けられているが、関東地方においては極めて稀である。この石敢當は1954年(昭和29年)10月に中央2丁目の塩田鉄工所の裏に所在していたものが遷座されたものである。石敢當の石碑の筆跡は亀田鵬斎により記されたものである。
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