真田丸
真田丸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/21 00:14 UTC 版)
真田丸(さなだまる)は、1614年(慶長19年)の大坂の陣(冬の陣)において、豊臣方の真田信繁(幸村)が大坂城(北緯34度41分15.4秒 東経135度31分36.6秒 / 北緯34.687611度 東経135.526833度)平野口の南に構築した出城・曲輪(出丸)である。
- ^ 千田 2015, p.158
- ^ ”宰相”とは加賀宰相つまり前田利常のことで、講和後ここに利常が本陣を置いて残務整理にあたり、「宰相山」と呼ばれたと推測される(藤本正行「真田丸ノート」、『中世城郭研究』第30号、2016年)。
- ^ a b c 坂井尚登「大坂城真田丸―絵図・地形図・空中写真によって考察する位置と形状」(『城郭史研究』34号、2014年)
- ^ [1]
- ^ "「真田丸」の新たな絵図発見 松江歴史館 "(日本経済新聞、2016年7月12日記事)。
- ^ "真田丸の盛り土か、初の学術発掘で見つかる"(日本経済新聞、2016年12月9日記事)。
- ^ 大阪文化財研究所・大阪歴史博物館『科学研究費補助金基盤研究A 上町台地の総合的研究』(2014年)
- ^ 千田嘉博「守りでなく攻めの砦、通説を覆す真田丸の実像とその狙い」(『歴史街道』2014年12月号)
- ^ 千田 2015, pp.19-22
- ^ 千田 2015, pp.25-26
- ^ a b 藤本正行「真田丸ノート」(『中世城郭研究』第30号、2016年)
- ^ 千田 2015, p.34
- ^ 千田 2015, p.36
- ^ 平山優『真田信繁』(角川選書、2015年)190頁
- ^ 笠谷和比古・黒田慶一『豊臣大坂城』(新潮選書、2015年)
- ^ 千田 2015, p.40
真田丸
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Ver3.1より追加。真田家の武将のみが所持する。真田丸は設置陣形と普請を掛け合わせたような計略で、他の真田丸計略と繋げることができる。ただし、制圧されると一定量の城ゲージを失う。真田丸の破壊を防ぐ、内外で効果が変化、計略発動と同時に破壊され枚数に応じて効果が上昇する計略も存在する。
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