犬の収容とは? わかりやすく解説

犬の収容

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 01:26 UTC 版)

犬小屋 (江戸幕府)」の記事における「犬の収容」の解説

大久保四谷中野の犬小屋完成後、江戸中の全て捕らえ犬小屋への収容開始した四谷犬小屋では元禄8年5月25日から開始され同年6月3日江戸の町触では、「人に荒き」を収容しているので、「人に荒き」がいたならば町奉行所書面をもって届け出るようにと申し渡していた(『江戸町集成三二一八号)。中野犬小屋への犬の収容は元禄8年11月24日から開始された(『正宝事録』八五四号)。 捕獲担当したのは小人目付だった。元禄13年1700年7月12日町触ではを追う小人目付周囲集まった見物人が、うまくいっている時は褒め失敗する嘲笑するため、目付衆は町奉行移しの際には番人出して人払いをするよう依頼した(『江戸町集成三六三七号)。 小人目付捕獲したを、犬小屋まで移送するのは町人負担だった。犬小屋への移送は、駕籠よるもののほか、刺子抱え込む馬車で運ぶなどした。町名や「御用と書かれた幟を立てそれぞれの町名主人足付き添って中野まで移送することになり、四谷口から中野までの2里余道路行き交う隙間がないほどであった田中休愚著『民間省要』)。宝永3年1706年8月17日代官支配地市ヶ谷薬王寺前町現・東京都新宿区)の徳兵衛は、町内の母2匹子犬12匹を明後日19日中野犬小屋移送することを命じられその際勘定奉行荻原重秀・石尾氏信・中山時春・戸川安廣は、代官雨宮勘兵衛移送要請した(「竹橋蠧簡(ちっきょうとかん)」「宝永戌年書状留」)。このように移送決済は、江戸の町であっても代官支配地であれば勘定奉行から代官通じて行われた収容され数は、 中野の犬小屋には約82000匹余の収容された - 「政隣記」元禄8年12月6日中野犬小屋へは毎日30匹から50匹くらいの収容された - 『鸚鵡籠中記元禄9年6月12日中野大久保犬小屋収容されていたの数は元禄8年10月には42108匹、元禄9年6月が48748匹 - 元禄10年町奉行所書上(『正宝事録』八五四号、『江戸町集成三二九五号) 不日十万頭に及ぶといへり(日ならずして十万頭を数えた) - 『徳川実紀』 となる。町中飼われているは、下屋敷領地移したければ遠慮なく送り犬小屋でも引き取る旨が申し渡され(『御当家令条』五一五号)、元禄10年7月18日町触では江戸の町々に「残」や「紛犬」の数を調査するよう命じ(『江戸町集成三三三二号)、同16年10月町触では無主多く集まって町内の人々道路往来の者たちの支障になっていたため、町奉行所届け出るように申し渡した(『江戸町集成』同三八二九号)。

※この「犬の収容」の解説は、「犬小屋 (江戸幕府)」の解説の一部です。
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