特異な台風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 17:44 UTC 版)
1891年(明治24年)から1954年(昭和29年)の64年間で、北海道西方海域を北上した台風は14個あり、このうち津軽海峡西方で急激に速度を落とし、かつ発達して中心気圧を下げたのはこの洞爺丸台風だけという特異な台風であった。事故から2年後の1956年(昭和31年)12月 気象庁発表の「昭和29年台風第15号報告」によれば、1954年(昭和29年)9月26日、太平洋側の温暖前線の北上に伴い、その北側の、津軽海峡に、先行した二次的な温暖前線が発生し、13時頃顕著になって北上し、北海道南部に強い東風を吹かせた、とのことで、この頃、台風は佐渡島の北西150キロ付近にあって、函館からは300キロも離れており、同日昼の62便 渡島丸(初代) 難航は、この温暖前線通過によるものであったと判明した。 またその頃、台風の南側から南南西にのびていた寒冷前線は、反時計回りに台風の東側へ回り込みながら、台風の進行に伴って東北地方を東進し、16時頃にはその一部が、前記の元からあった太平洋側の温暖前線に追いつき、閉塞前線となって、17時頃には函館に達した。この閉塞前線通過時、それまでの東風は弱まり、晴れ間も現れ、その後、南の強風に変わった。これが函館で見られた偽りの「台風の目」の正体であった。しかし、当時、日本海には観測点はなく、日本海に出た台風の情報は推測に基づくしかなかった。16時に放送された15時の台風中心の推定位置は、実際より東へ100キロもずれ、速度も毎時110キロとされ、そのまま進めば、台風の中心は17時頃、函館を通過しても不思議ではなかった。この情報を聞き、17時頃、函館であの晴れ間を実際に見た人々は、これを台風の目と信じた。しかし、この時、本物の台風は函館西方100キロの日本海海上にあり、函館はまさに台風の「危険半円」内であった、そのうえ進行速度も15時には、毎時40キロに減速しており、函館は長時間にわたり「危険半円」内に留まることになった。そのうえ中心気圧も15時の960ミリバールから、21時には956ミリバールへとさらに発達していた。これら洞爺丸台風の特異な振る舞いや、随伴する前線の発生などから、さらに後年の研究では、洞爺丸台風は9月26日15時から18時までには温帯低気圧化していたと推定されている。
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