牛祭の祭文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 15:45 UTC 版)
夫れ以れば、性を乾坤の気にうけ、徳を陰陽の間に保ち、信を専にして仏に仕え、慎を致して神を敬ひ、天尊地卑の礼を知り、是非得失の科を弁ふる、これ偏へに神明の広恩なり。数に因つて単微の幣帛を捧げて、敬みて以って摩吒羅神に奉上す。豈神の恩を蒙らざるべけんや。弦に因て四番大衆等、一心の懇切を抽でて十抄の儀式を学び、万人の逸興を催すを以て自ら神明の法楽に備へ、諸衆の感嘆を成すを以て、暗に神の納受を知らんとなり。然る間に柊槌頭に木冠を戴き、銀平足に旧鼻高を絡げつけ、緘牛に荷鞍を置き、痩馬に鈴を付けて馳るもあり。踊るもあり。跳ねるもあり。偏に百鬼夜行に異ならず。如是等の振舞を以て、摩吒羅神を敬祭し奉る事、偏に天下安穏、寺家安泰のためなり。因て永く遠く拂ひ退くべきものなり。先は三面の僧坊の中に忍び入りて、物取る銭盗人め、奇怪すわいふはいやふ童ども、木木のなり物ならんとて明り障子打破る。骨なき法師頭も危くぞ覚ゆる。堵は、あだ腹、頓病、すはふき、疔瘡、ようせふ、閘風。ここには尻瘡、蟲かさ、うみかさ、あふみ瘡、冬に向かへる大あかがり、竝にひひいかひ病、鼻たり、おこり、心地具つちさはり、傳死病。しかのみならず、鐘鏤法華堂のかはづるみ、讒言仲人、いさかひ合の仲間口、貧苦界の入たけり、無能女の隣ありき、又は堂塔の檜皮喰ひぬく大鳥小鳥め、聖教破る大鼠、小鼠め、田の嚋穿つ土豹、此の如き奴原に於ては、永く遠く根の国底の国まで払ひ退くべきものなり。敬白謹上再拜。 牛祭はかつて毎年10月12日に行われていたが、現在は牛の調達が困難のため不定期開催となっており、特に近年では暫く実施されておらず今後も再開の見通しもたっていない。
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