災害防止のバイブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 02:56 UTC 版)
「ハインリッヒの法則」の記事における「災害防止のバイブル」の解説
1931年に初版が発行されたIndustrial Accident Prevention - A Scientific Approachは、「災害防止のバイブル」としてNASAを初め数多くの著作物等に引用されたことから、ハインリッヒは「災害防止のグランドファーザー(祖父)」と呼ばれるようになる。 同書はその後ほぼ半世紀にわたって4回改訂された。なお、第5版のみ副題がA Safety Management approachで、Dan Peterson & Nestor Rossの2人による増補が行われている。 なお、E.R.グラニスの協力による1959年の第4版改訂から問題の重点に変化があり、労働者個人の問題から社会環境の問題へとシフトされた。たとえば「家系及び社会環境」から「管理不足」へ、「人的欠陥」から「材料・設備・作業環境・人員の不良」へ、などである。 労働者側に不利な見解に偏った理由として、本書執筆当時のアメリカ合衆国の社会的・歴史的な制約が挙げられる。 アメリカの労働災害補償制度は、大半を民間保険会社に依存していた。1980年の第5版出版時のデータでも州と連邦プログラムによる給付が30%という状況にある。 初版刊行時の1930年前半は、「過失責任制」と「使用者責任保険」から「労働者集団保険」から無過失責任法理を採る「労働災害補償法」への移行期にあった。「過失責任制」は弁護士と保険会社の腐敗で批判を浴びていた。「使用者責任保険」はコモンロー上のいくつかの免除規定いわゆる「聖ならざる三位一体」の抗弁が存在した。 「寄与過失」[被害者側の注意義務違反の場合]、「危険引き受け」[被害者側が危険性を前もって知っていた場合]、「フェロー・サーバント・ルール」[コモン・インプロイメント・ルールとも。共同雇用の準則;同僚・上司・部下が起こした過失は、雇用者は賠償の責任を免れる。]。詳しくは「コモン・ロー」の項目参照。 1935年に施行された「社会保障法」(1929年10月24日の暗黒の木曜日以後、1933年3月4日フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト大統領就任で、積極的な経済労働政策改革=ニューディールを断行する。)成立前夜で保険会社の倒産と労災保険料の高騰が社会問題化していた。 他に、当時の科学・技術分野や労働運動分野の諸側面をも反映していることは明らかである。
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